スポーツ×ヒューマン 泣き笑いのビッグスロー
北口榛花選手は卒業した母校・日本大学で後輩たちとトレーニングをしている。トレードマークは笑顔で周囲には笑いが耐えない。やり投げはその日の風向きや投げる角度などをその都度修正する。コーチからリモート指導を受けながら練習に励んでいた。
東京五輪では57年ぶりの決勝進出へ。予選で左脇腹の肉離れを起こしていて決勝では思うような結果を残せず悔し涙を流した。北口選手が生まれたのは北海道・旭川。小学生の頃はバドミントンに明け暮れ全国大会で優勝。やり投げは陸上部の監督から誘われ高校生から始めた。全国高校総体では優勝。翌年には世界ユース選手権で日本選手として初優勝を果たした。北口選手は自分は天才だと思って試合に臨んでいたと話した。
北口選手の強さについて専門家はファーストインプレッションはハンプティ・ダンプティだったとし、柳のようなしなやかさによってすべてやりに伝えられ飛んでいくと説明。4月下旬、ダヴィッド・セケラックコーチが来日し、北口選手を直接指導することになった。そして5月1日に開催された木南記念陸上に出場。1投目でトップに立つも、その後は記録が伸びなかった。コーチはクロスステップで減速してしまう弱点を指摘。コーチが求めるのは世界記録保持者のバルボラ・ジュポタコバ選手のフォーム。コーチは北口選手は下半身が弱いため改善しないとならないと述べた。
大会翌日から特訓がスタート。コーチが用意したのは小さなハードルで足のつま先を鍛える練習を行った。さらにフォームの改良にも乗り出した。コーチが着目したのは投げる直前の右足の踏み込み。コーチから指導を受けることで北口選手はやり投げを極めたいと思うようになった。
北口選手はトレードマークの笑顔を失ってた時期があった。活躍が期待されていた大学時代、右ひじの靭帯を負傷。無理を押して試合に出るも勝てずリオ五輪代表に落選し精神的に追い込まれていた。海外の講習会でセケラックコーチと出会い、直談判しチェコで指導してもらった。練習は地道なものばかりだったが下半身を強化するなど一から体を作り直した。チェコでの留学を終えた北口選手は木南記念陸上に出場し日本記録を更新。北九州陸上カーニバルでは自身の記録を再び更新。再び笑顔が戻った。
北口選手は今シーズン第2戦となるセイコーゴールデングランプリに出場。初戦を上回るビッグスローで飛距離を伸ばした。北口選手が練習後に立ち寄るのがスイーツ屋さんで自分へのご褒美としてスイーツを堪能。学生時代、心無い言葉を投げかけられ気持ちを抑え込もうとしていた。転機となったのはやり投げを通じて様々な人たちと出会えたことで何も隠さずに全部表に出そうと思っていると話した。
6月の日本選手権で北口選手は大一番に臨むが投てき練習で微妙なズレを感じていた。思っている以上に助走が付いてしまい止まれなそうだとサポートスタッフに打ち明けた。1投目は60mに届かず、2投目は今シーズン最低の記録を出してしまった。そして自分を信じて挑んだ3投目で60mを越えるビッグスローを記録し逆転。その後、北口選手は海外の試合に臨むため日本を旅立った。ダイヤモンドリーグでは日本選手として初優勝を果たした。