ファミリーヒストリー 福山雅治
福山さんの父・明さんは名前の通り明るい性格だった。昭和16年、明さんが9歳の時に太平洋戦争が勃発すると長崎も度々空襲を受けるようになった。福山家も疎開を余儀なくされ1km離れた稲佐山の麓に引っ越した。そして長崎は昭和20年8月9日、原爆の悲劇に見舞われた。祖母の久さんが残したテープによるとその日はカンカン照りだったという。久さんが米の配給に並んでいる時原爆が炸裂した。明さんの姿が見えなくなり必死に探していたが、近所のおばさんにまっ黒焦げで亡くなってたと言われたという。しかし数時間後、明さんはボロボロになりながら戻ってきたという。
被爆したときの明の行動を記録した文書が長崎市役所に保管されていた。その時にいた場所を示す地図も描き込まれていた。明は座っていた石段のそばの防空壕に逃げ込んでいた。長崎原爆資料館の学芸員とともに明が逃げ込んだと思われる防空壕の跡を見つけた。福山家は丘陵地が影になって直接爆風が来ることは避けられてと推測した。