安全地帯・零ZERO−旭川の奇跡− (安全地帯・零ZERO−旭川の奇跡−)
安全地帯のデモテープは音楽プロデューサー星勝の目に留まり、1980年10月にキティレコードと仮契約をした。他の作詞家による詞の手直しに抵抗を感じていた俊也さんはスランプに陥った。11月には六土、翌月には武沢豊が復帰した。俊也さんはスタジオに行けなくなり、1981年3月にバンドを脱退した。9月には井上陽水のバックバンドを務めることになった。作品に納得していなかった玉置は矢萩とともに俊也さんの家を訪ね、バンドに戻ってきてほしいと話した。しかし家族を持っていた俊也さんは安定した職を求め郵便局員となった。