2024年12月20日放送 23:50 - 1:02 NHK総合

安全地帯・零ZERO−旭川の奇跡−

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(オープニング)
安全地帯・零ZERO−旭川の奇跡−

安全地帯の物語は旭川市永山の手作り音楽スタジオから始まった。

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安全地帯永山(北海道)
オープニング

オープニング映像。

(安全地帯・零ZERO−旭川の奇跡−)
第一章 そのバンドが始まる

玉置は神居中学校で武沢豊に出会い、同級生も一緒に3人でバンドを結成。フォーク風のオリジナル曲を作り始め、豊の兄・俊也さんがバンドに加入した。バイクの教本に載っていた安全地帯という言葉に目が留まったことからバンド名が決まり、1973年4月に安全地帯を結成した。

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第二章 ポプコン 最初の挑戦

安全地帯は同級生が脱退し、玉置の兄・一芳さんと宮下さんが加入した。練習場所は街の楽器店が無料で貸してくれた雑居ビルの屋上だった。安全地帯はフォークからロックへとかじを切った。1975年にヤマハ他主催したポピュラーソングコンテストに出場したが、この年は中島みゆきが出場。全国大会でも優勝しデビューを果たした。その1年後、4年目の挑戦で初めて全国大会に出場した。

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第三章 手作りの音楽スタジオ

知名度を上げた安全地帯は札幌のラジオにも出演した。そんな中、一芳さんがバンドを脱退し新たなドラムとして大平が加入した。この時大平はドラム未経験だった。安全地帯に迫る実力を持っていたバンドの六土開正、矢萩渉、田中裕二を誘って安全地帯は8人の大世帯グループとなった。8人は地元の仲間だけで作る音楽を目指した。1977年に中古の農機具小屋の改装を始め、1978年に音楽スタジオ「ミュージカル ファーマーズ プロダクション」が完成した。完成日の夜メンバーと揉めた玉置は鼻の骨を骨折し、しばらく練習に参加できなかった。メンバーはまずバイトをし、金が貯まったら2か月に1度のコンサートに向けて練習した。合宿中も土日は家に帰っていた。チケットやチラシを手作りし、旭川市公会堂でコンサートを開催した。

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第四章 訪れた危機

78年7月にヤマハ主催のロックコンテストでグランプリを獲得したが、11月に宮下さんと田中が脱退。六土がキーボードからベースに転向した。6人はデモテープ作りに打ち込み、レコード会社の視察も来るようになった。79年11月に武沢豊は交通事故に遭って長期入院。事故から半年後には六土も病気で長期入院することになった。メンバーは4人になり、2か月に1度のコンサートも中止せざるを得なくなった。コンサートができない分デモテープ作りが加速した。俊也さんが詞、玉置が曲を作るようになった。デビュー曲「萌黄色のスナップ 」はこの頃に制作した。

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第五章 ”プロになる”ということ

安全地帯のデモテープは音楽プロデューサー星勝の目に留まり、1980年10月にキティレコードと仮契約をした。他の作詞家による詞の手直しに抵抗を感じていた俊也さんはスランプに陥った。11月には六土、翌月には武沢豊が復帰した。俊也さんはスタジオに行けなくなり、1981年3月にバンドを脱退した。9月には井上陽水のバックバンドを務めることになった。作品に納得していなかった玉置は矢萩とともに俊也さんの家を訪ね、バンドに戻ってきてほしいと話した。しかし家族を持っていた俊也さんは安定した職を求め郵便局員となった。

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第六章 旭川の理想 東京の現実

安全地帯は俊也さんの詞が基になった「萌黄色のスナップ」でデビューしたが、売り上げは振るわなかった。デビュー後も井上陽水のバックバンドを務めていた。井上がドラムに不満を持っていたため、玉置から大平に「ここまでだ」と告げ田中裕二を呼んだ。1982年に現メンバーの5人体制になった。メンバーは合宿生活に終止符を打ち、上京した。その後立て続けに新曲を発表したがヒットには繋がらなかった。83年に井上の作詞で「ワインレッドの心」を発表し、初めてのヒット曲となった。84年には初の全国ツアーを開催した。

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第七章 今見つめる”あの頃”

音楽スタジオだった農機具小屋は現在結婚式場になり、元メンバーの宮下さんが営んでおり、玉置もここで式をあげた。85年頃から本格的なハンティングに取り組み、全国に先駆けジビエ料理で成功を収めた。玉置の兄・一芳さんは2022年に玉兄バンドを結成し、アマチュア時代の楽曲を演奏している。俊也さんは駅の清掃業に従事している。玉置は北海道のスタジオで練習していたことが基本、本当は東京に行きたくなかった、バンドをやるなら大きい音が出せる場所で一緒に集まって練習することが大事と話した。インタビューから6日後、玉置は旭川のコンサートで「悲しみにさよなら」「メロディー」を披露した。

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(エンディング)
エンディング

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