ドキュメンタリー「解放区」 鈴木順子 私は生きる ~JR福知山線脱線事故20年~
2015年3月、事故から10年。順子さんは介助を受けながら料理をする余裕も出てきた。JR西日本とは補償交渉も終え区切りはつけた。この時、順子さんも母もも子さんも記憶障害に苦しんでいた。年齢や障害がなぜあるのか分からなくなり尋ねることも多く現実を記憶していくため張り紙を用意。2020年、父正志さんが亡くなった。
買い物やちょっとした外出は2軒隣に住む石井さん夫婦が手伝ってくれることになった。正志さんは口数も少なく家を空けがちで夫婦はよくけんかをした。順子さんは10年ほど前から眩しさを頻繁に訴えるようになり、日光を避けたがり外出時はサングラスをかけることが増えた。リハビリの成果もあり自分で動ける範囲は格段に増えた。毎月2回、石井さんの運転で順子さんは宝塚市にある陶芸の工房に向かう。細かな作業は指先のリハビリにも適している。
正志さんが亡くなって間もなくもも子さんは自宅の駐車場を一部改装して陶芸教室に使ってもらうことにした。順子さんは陶芸を自分の仕事と話すようになり、自宅の工房に集う仲間たちと作品展を開くことを目標とした。