- 出演者
- 中居正広 ムロツヨシ 高橋英樹 劇団ひとり
オープニング映像。
今回のゲストについて中居は「特に用はない」と言った。
ゲストの劇団ひとりが登場。中居はひとりに「俺のこともだいぶ知ったでしょ?」と言った。ひとりは「本当のこと言うと僕も用ない」と言った。
劇団ひとりは1994年、お笑いコンビ・スープレックスを結成。2000年にコンビを解散しピン芸人として活動を始めると“泣き芸”でブレイク。以降、数々のバラエティ番組に出演。さらに、持ち前の演技力で俳優としても活躍。一方、2006年には小説家デビュー。「陰日向に咲く」はミリオンセラーを記録し映画化。2作目の「青天の霹靂」では自らメガホンを取り映画監督デビューも果たした。2021年、ビートたけしの自叙伝「浅草キッド」を映画化。
中居とひとりは10年以上の付き合いで、マージャンやゴルフなどおじさんの付き合いだという。ひとりがコロナになった時に中居は食べ物を持ってきてくれたという。中居はひとりにいくつか物をあげたが一個も返ってきたことがないと言った。ムロは矢口真里とひとりとマジックバーに行ったのが初対面だという。終電を逃したムロを家に入れてくれたという。マジックバーを映画にしたいと思って書いたのが「青天の霹靂」だとひとりは言った。ひとりはドラマで共演したときには「彼女にフラれた」というムロに大爆笑してしまったという。
芸人のネタ本がバカ売れしていた時にひとりはネタ本を出さないかと言われて書いたのが短編小説になったという。次の小説は自分で撮りたいと思った。脚本は全部一人で書いているという。ムロは昔からひとりを意識していたという。役者が良い芝居をしてくれるのが監督として一番うれしい瞬間だとひとりは話した。芸人と裏方仕事は1:9が理想だという。
高橋英樹は1961年に俳優デビュー。「桃太郎侍」や「遠山の金さん」などで主演を努め、時代劇スターの地位を確立。50代でバラエティー番組に進出した。
体悪くしたら全部できないと思ったひとりは80歳の高橋に憧れるようになったという。
映画黄金期のスターは国民全員が知っていると高橋は話した。芸歴60年超えでノースキャンダルで、健康で家族思いで完璧だとひとりは言った。若い頃に銀座で遊んだから真面目になったという。任侠映画ばかりで煮詰まっていた時に大河ドラマの話が来てテレビに進出したという。
高橋がバラエティー番組に出るきっかけとなったのは娘の真麻に「SMAPと出られない人は芸能人じゃないよ」と言われたことだという。バラエティーで芝居に足りないエネルギーを感じたという。バラエティーで司会者に振られた時に答えれるようにずっと考えていると話した。
高橋はバラエティーでVTRを見たときは2、3番目が面白かったと答えるようにしていると話した。高橋がワイプで笑ってくれてるだけで司会者として安心すると中居は言った。高橋は体調不良で長期の休みをとったことがないという。
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高橋英樹の健康で長生きの秘訣を聞いたが、健康のためにやった意識はないと答えた。毎日野菜を食べて、四股と蹲踞をしているという。ひとりはTRFのダンササイズをしていて、食事はよく噛むようになったという。
だれかtoなかいの次回予告。
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