- 出演者
- 藤森祥平 加藤浩次(極楽とんぼ) 川合俊一 大西流星(なにわ皇子) 谷亮子 丸山桂里奈 長嶋一茂 福士加代子
外国スター8人目はロサンゼルスオリンピックで4個の金メダルを獲得したカール・ルイス。翌年にはザ・ベストテンに出演した。
外国スター9人目はソウルオリンピック100mで金メダルを獲得したが、後にドーピングでメダルを剥奪されたたベン・ジョンソン。トロントに住むベン・ジョンソンを直撃。引退後はスポーツ選手のコーチとして活躍し、マラドーナにランニングを教えていたこともあった。ベン・ジョンソンは金メダル剥奪について「アメリカに嵌められた」と話した。今回、ソウルの決勝で対決した現在59歳のレイモンド・スチュワートと一緒に100mを走ることになった。
外国スター10人目はソウルオリンピックで100m200mでともに世界記録を樹立したフローレンス・ジョイナー。100m10秒49の世界既得は今も破られていない。ジョイナーの代名詞は奇抜なファッション。29歳で引退し、その年に松田優作最後の主演作「華麗なる追跡」で演技も披露した。1987年に三段跳びの金メダリスト、アルと結婚。38歳の時に心臓発作で急死した。番組はアルに連絡を取りサンディエゴの自宅を訪ねた。ジョイナーが金メダルを獲得したときの靴などを見せてもらった。長女メアリーは歌手として活動している。日本でのジョイナーの人気は絶大で、多数のCMに出演していた。スタジオで田村は身長229センチのヤオ・ミンに会ってビックリしたと話した。
外国スター11人目は体操のナディア・コマネチ。モントリオールオリンピックに14歳で初出場し、オリンピック史上初の10点満点を出した。62歳となった現在はアメリカで体操のコーチをしている。
外国スター12人目はローマオリンピックマラソンで金メダルを獲得したアベベ・ビキラ。練習中に靴が壊れ裸足で参加し、当時の世界最高記録2時間15分16秒2で優勝。アフリカ出身者としては初の金メダリストとなった。東京オリンピックには盲腸の手術後40日で出場し、金メダルを獲得した。
有森裕子、高橋尚子を指導した小出義雄監督は2019年に他界した。かけっこ少年だった小出監督は実家の農業を継いだものの箱根駅伝に出場したい一心で22歳のときに順天堂大学に入学。卒業後は市立船橋高校などで陸上部を指導し、オリンピックで勝てる選手を育てるべくリクルート陸上部へ。自ら全国を飛び回り、有望な選手をスカウトした。小出監督に指導してもらいたいと直談判し入部を決めたのがまだ無名の有森と高橋だった。選手の強みを活かす指導の中で小出監督の代名詞「褒めて育てる」が生まれ、山道を上る高地トレーニングも話題になった。選手たちがマラソンに専念できるよう山の麓に合宿所を購入。オリンピック直前に左足を傷めた有森を気遣う気持ちを綴った日記が小出監督の自宅に残されていた。苦しんでいる有森を見かねた小出監督は、大好きだったタバコをやめると伝えた。オリンピックが終わったら思いっきり吸ってもらおうと考えた有森はユニフォームの背中にホープを縫い付けて走り、レース後小出監督に渡した。小出監督は亡くなるまでの27年間そのショートホープを大切に持っていた。オリンピックのバトンを受け継いだ高橋は1998年にアジア新記録を出し世界トップランナーとして注目を集めたが、オリンピックが近づくにつれけがや体調不良が続き心が押しつぶされそうになった。そんな高橋の心の支えは監督との手紙の交換だった。高橋が監督に宛てた手紙は監督の自宅に大切に保管されていた。そこには8年ともに過ごした監督への思いが綴られていた。2019年に病魔に襲われた小出監督は教え子1人1人に電話した。小出監督は病室に集まった教え子たちの前で弱った姿を見せず、1人ずつの思い出話を話していたという。高橋は2~3日に1通ずつ手紙を渡した。ある日小出監督は高橋に手紙を読んでほしいとお願いしたが、高橋は最後になったら嫌だと考え読まなかった。高橋は読まなかったことを後悔していると話した。高橋は家族から弔事をお願いされ、そこで監督に宛てた最後の手紙を読んだ。
第1回アテネオリンピックは男性のみが参加を許され、女性が参加できるようになったのは第2回パリ大会から。その時の女性出場者は22人で全体の2.2%だった。ことしのパリオリンピックでは男女の選手数が同じになった。
リオデジャネイロオリンピックレスリングで登坂絵莉は劣勢からの大逆転で金メダルを獲得した。
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- リオデジャネイロオリンピック登坂絵莉
ロンドンオリンピック柔道で、松本薫は攻めの柔道で金メダルを獲得した。2016年に一般男性と結婚し出産、2019年に現役を引退した。現在は東京富士大学にアイス屋「ダシーズファクトリー」をオープンし、アイスの授業をしている。
アテネオリンピック女子マラソンで金メダルを獲得した野口みずきは2016年に一般男性と結婚し、現在は大阪の社会人陸上部のアドバイザーをしている。お酒が大好きで今は飲むために走っている、アテネのレース中にはヒップホップを聴いていたと話した。
アトランタオリンピック柔道で、恵本裕子は日本女子柔道初の金メダルを獲得した。現在は自分の柔道人生をモデルにした漫画を小林まことと出版している。
バルセロナ五輪競泳200m平泳ぎで、岩崎恭子は当時14歳で金メダルを獲得した。
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ミュンヘン五輪競泳で金メダルを獲得した青木まゆみは、翌年に引退し兵庫県の高校で保健体育の教員になった。
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1964年の東京オリンピックで女子バレーボールは金メダルを獲得した。アメリカのコメンテーターが「オリエンタル ウィッチーズ」と連発し、後に「東洋の魔女」と呼ばれるようになった。回転レシーブの名手、松村さんと連絡が取れ話を聞いた。松村さんはあの時代女子バレーは金メダルと決められていたので獲れてホッとしたと話した。午後4時から練習を始めて午前0時まで、監督の機嫌が悪かったら朝5時まで練習していたという。当時はアニメ「アタックNo.1」が人気で、平均視聴率は27.1%(ビデオリサーチ調べ)。全国ではママさんバレーが誕生した。
ベルリンオリンピック競泳200m平泳ぎで、前畑秀子は当時のオリンピック記録で金メダルを獲得した。1995年に他界しており、長男に話を聞いた。しつけも厳しかった、無理やり水泳部に入らされた、和歌山の紀の川で泳いでいたと話した。
男子バレーボール身長2m超の一丁目一番地は蔭山弘道だった。
男子バレーボール身長2m超の一丁目一番地、蔭山弘道さんに話を聞いた。現在56歳で富士フイルムのインクジェットの印刷機を専門で売る会社で営業をしている。今は198センチになっていた。