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岡山県・倉敷の美観地区。江戸時代、幕府の直轄地として栄えた町には古き良き日本の風情が残されている。かつて様々な物資を運んだ舟や運ばれてきた品を納めた白壁の蔵。タイムスリップしたかのような風景を求め国内外から多くの観光客が訪れている。美観地区の中心ともいえる場所が大原美術館。開館から100年に迫る日本初の私立西洋美術館。館内にはモネやルノワールなどの名作が並ぶ。日本を代表するアートの発信地。今、大原美術館があるニュースで注目されている。美術館のシンボルとも言える17世紀の傑作エル・グレコ「受胎告知」。聖母マリアが天使からキリストを身ごもったことを告げられる場面が描写されている。しかし世界的名作は劣化が進んでいた。紫外線画像で見ると幾つもの黒ずみが浮き上がってきた。さらに修復の際に描き変えられた部分も。それがバスケットから垂れる布。エル・グレコが描いた同時代の作品は布が垂れていない。長い時の中で劣化し修復で変わってしまった傑作。それを描かれた当時の姿に蘇らせる大修復が行われることになった。修復作業を依頼されたのが修復士エバ・マルティネスさん。そしてカメラはスペインへ。国を代表する美術館のプラド美術館。館内には展示作品を修復するための部屋が。世界的な名画たちが蘇る現場にエバさんの姿が。修復を担う彼女への密着が特別に許された。画家の魂を筆に宿らせ描く。研ぎ澄まされた技で美しさを取り戻すマリア。作品と向き合った平原綾香は涙を流した。そして蘇った名作に捧げられる一曲とは。
2025年7月、大原美術館にやって来た平原綾香。古代ギリシャ神殿を思わせる正面玄関。その扉の中で迎えてくれるのは教科書にも登場する数々の名画たち。印象派の巨匠モネが描いた代表作「睡蓮」。強烈な色使いで楽園の世界を表現したゴーギャンの「かぐわしき大地」。その他、多くの名画が展示されている。その理由は昭和初期に大原美術館が当時最先端のヨーロッパの絵画を広く人々に見てもらうため開かれたから。
名画「受胎告知」。17世紀にエル・グレコが描いた幻想的な色彩の宗教画。この名画を60年ぶりに修復する。描かれているのは救世主の出現を意味する受胎告知の場面。神々しい描写が見る人の心を震わせる。作品には隠れたダメージが。紫外線画像で見ると至るところに黒ずみがある。これは過去の修復跡だという。今回の修復は400年前の作品から過去の劣化と描き直しを取り除き、本来の姿を蘇らせる目的で行う。
スペイン・マドリードのプラド美術館の修復室を訪れた。修復士・エバ・マルティネスさんが今回「受胎告知」の修復を担当する。修復を専門に30年。スペインでもトップクラスの修復士だ。館内にはエバさんが修復した大作が展示されている。エル・グレコが大原美術館のものとは違う構図で救世主キリストの出現を描いた作品「受胎告知」の修復をエバさんが手掛けたことがきっかけだった。
2024年12月、大原美術館に招かれて来日したエバさん。作品を前に初めての打ち合わせに臨んだ。大原美術館からの希望は、誰かが加筆した可能性がある、マリアの頭上に輝く12の星を、あえて残しておいてほしいというものだった。
1930年、大原美術館が開館。倉敷の実業家・大原孫三郎と西洋画家・児島虎次郎が創設に関わった。2人はアーティストと支援者の関係だった。児島虎次郎は印象派のようなタッチで描く風景画を得意としていた。東京芸大を卒業後、孫三郎の援助でヨーロッパに留学し、大きく画風を変えた。帰国後、虎次郎は孫三郎に「日本も本物の西洋画を手に入れるべき」と提言。初めて買い付けたのがアマン=ジャンの作品。その後虎次郎は何度も日本とヨーロッパを往復し、数々の名画を収集した。しかし若くしてこの世を去ってしまう。そんな虎次郎の集めた作品を世に広めるため、孫三郎が作ったのが大原美術館だった。美術館を代表する作品が「受胎告知」。虎次郎が買付け、孫三郎が展示したとき、マリアの頭上には既に12の星があった。この星を消すことは2人の思いをないがしろにすることになる、街の思い出も消えてしまう。だからこそ美術館は星を残すことに決めたのだという。
倉敷にある大原美術館。2025年7月、館内の一室でエル・グレコ「受胎告知」の修復が始まった。修復には4つの工程がある。まず絵の表面を保護するワニスを除去し、過去の修復跡を除去。除去部分を補彩し、再びワニスで表面を覆う。修復を担当するのはスペインから招聘した修復士・エバ・マルティネスさん。ワニスを取り除くと絵画本来の色味が現れた。過去の修復跡の除去には紫外線画像を参考にする。エル・グレコは塗り残しを筆致の隙間から見せて躍動感を表現した。修復前は目視しづらい独自の技法。
美術館は修復中の「受胎告知」を高精細デジタル画像化。修復にもこのデータが役立つという。
2025年7月、修復の様子が一般公開され、大原美術館に多くの人が集った。説明はエバさんが行った。一般公開では修復に使われている道具も展示された。更にエバさんへの質問タイムも設けられた。大原美術館は地元小学校への教育普及活動にも取り組んでいる。
大原美術館で行われた「受胎告知」の修復は補彩の段階へ。描き換えられた布の部分を元に戻すのは、修復士・エバさんにとっても難しいことだという。スペインのプラド美術館ではエル・グレコの作品だけを集めた部屋がある。ここに展示されている「受胎告知」でエバさんは筆の使い方などを徹底的に研究したという。パレットで色を作り、エル・グレコが作った色を正確に再現していく。「受胎告知」はエバさんの技で全てが生まれ変わった。透明感が高まり、見違えるほどの彩りに。筆使いもはっきりと見えるようになった。
2025年10月。大原美術館に「受胎告知」が帰ってきた。エバさんは「修復の仕事は作品を未来へとつなぐ仕事。だからこそ私たち修復家は大きな責任を負う。そこで作品に自己を投影させてはいけません。理想は私たちの存在が完全に消えること。本来は匿名の存在であるべき。修復家の形跡が残らず、絵が後世に残っていくこと。それが修復家の理想の仕事だからです」と語った。
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