- 出演者
- 桑子真帆
女子・やり投げの北口榛花選手、パリオリンピックで金メダルを目指す。持ち味は上半身の柔軟性。去年、世界選手権を制し世界のトップにたった。女子やり投げの世界記録保持者もその実力を認めている。北口選手といえば笑顔だが、悔し涙もある。北口選手を独占取材した。
オープニング映像。
オリンピック日本陸上女子フィールド種目で史上初の金メダルの期待がかかるやり投げの北口榛花選手。やり投げは6回投げて、その飛距離を競い合う。北口選手は今年5月まで国内外の大会で11連勝、金メダルに近い日本人の一人とされている。
北口選手が拠点をおくチェコのドマジュリツェ、今年1月に北口選手の表彰式が行われた。世界選手権での活躍などで町の知名度を上げたことなどが評価された。5年前に単身チェコにわたった北口選手。チェコ語も今では会話ができるほどに上達した。北口選手が指導を受けているのはダヴィッド・セケラックコーチ。ジュニア世代のチェコ代表のコーチも務めている。2人はこの5年間で下半身を強化するなど基礎から鍛えあげてきた。北口選手がチェコを選んだ理由はやり投げの強さ。男性の世界記録をもつヤン・ゼレズニー、女子の世界記録保持者のバルボラ・チュポタコバー、数多くの名選手を生み出してきた。チェコに渡る前、大学生だった北口選手はけがに苦しむなど日本でも勝てない日々が続いていた。打開するために北口選手はチェコに渡ることを決意。セケラックコーチに自らメッセージをおくり指導を頼んだ。北口選手がチェコで取り組んできたのは女子選手にとっては難しいとされる投げ方。日本にいたときの北口選手は標準的な投げ方をしていたが、今のフォームはやりが隠れるほど身体をひねって投げている。この技術で世界記録を生み出したのがゼレズニー。取材に応じたゼレズニーはこの投げ方には筋力が求められると話した。
北口選手の決断の原点はどこにあるのか?故郷の旭川で高校1年生まで通っていたスイミングスクール。当時指導していた佐藤淳さんは幼い頃の北口選手は決してスポーツ万能ではなかったという。その一方で負けず嫌いの姿もあったという。そんな北口選手がやり投げに出会ったのは高校時代、一気に才能を発揮した。肩の強さが際立っていた。ハンドボールを体育館のはしからはしへ軽々と飛ばしていた。競技をはじめてわずか1年でインターハイを制覇した。翌年にはジュニア世代の世界大会でも優勝した。当時、陸上部の顧問だった松橋昌巳さんは北口選手は貪欲に技術を身につけようとしていたという。いつかはオリンピックで活躍したいと北口選手は高校卒業後、やり投げ一本で生きていきたいと考えるようになった。かつて、実業団のスポーツ選手だった母親は反対した。試合に出れずに挫折した経験から自分と同じ道には進んでほしくないと考えていた。今月はじめインタビューに応じた北口選手は母親の思いを押し切って決断した思いを語った。強い覚悟が北口選手の原動力となった。チェコにわたってから日本記録を4回更新し、去年は記録を67m38までのばし世界ランキングは1位となった。オリンピックでの金メダル獲得にも強い意欲を持っている。
オリンピックイヤーの今年、北口選手は新たな壁にぶつかっていた。中国での大会で思うようなプレーができなかった。パリオリンピックでメダルを獲得するには最低でも65mは必要だと考えている北口選手。しかし、大会本番にむけて密度の濃い練習を続ける中で体に負荷がかかり、持ち味である柔軟性を失っていた。本来の調子を取り戻すために今月5日、都内のクリニックで治療を受けていた。身体の違和感を取り除き、やりに見立てた棒を使い身体のバランスをチェックしていた。その成果がみえてきたのが今月12日のモナコの国際大会。最後の6投目で今シーズン最長の65m21を記録した。目前のパリオリンピックについて、北口選手は人を魅了し続けられる選手になりたい、未来につながる一本を投げれたらいいなと思うと話す。
北口選手について海老原有希さんは、チェコに渡ってから自分の投げを確立したと思うと話した。アスリートが異国の地に単身で行くという勇気はすごい、海外に行くときはコーチや先輩選手についていくものだが自分でやり取りをして行ったということに覚悟を感じると話した。チェコで北口選手が身につけた捻りを使った投げ方を海老原さんがスタジオで実践してくれた。女子やり投げの今シーズンのベスト記録1位はフロル・デニス・ルイス・ウルタドで66m70、北口選手は5位で65m21。海老原さんはオリンピックでは最後の8人に残ることがカギになると思うと話した。
北口選手の笑顔の裏にあった苦悩と決断、その果にたどり着いたオリンピック。北口選手は世界最高の舞台を心から楽しみたい、楽しく競技してもいいということを多くの人に知ってもらいたいと話した。