- 出演者
- 野上慎平 福田正博 角澤照治 依田司 林修 紀真耶 山崎弘喜 斎藤ちはる 佐々木一真 森千晴 荒井理咲子 今井春花 三山賀子
お天気検定の正解発表。正解は「Bonsai Cafe」。カフェでは「苔玉スイーツ」が人気とのこと。
「THE ALFEE」が一昨日、岡山県倉敷市でライブを行った。
東京・調布市にある創業50年のおにぎり店。看板娘は弘子さん(81歳)。弘子さんの握ったおにぎりを食べたいと海外から訪れるほど人気者。東京港区にある米がテーマの飲食店「甘酒・雑貨かふぇ こめどりーみんぐ」。カウンターで料理を待つのはヨーロッパから来たという旅行客。そこにおひつが運ばれてくると何やら説明が始まった。2人はおにぎりを握る体験をしに来た。初めて握るおにぎり。おにぎりに熱い視線を向けるのは海外だけではない。日本でも米への支出は減っているにもかかわらずおにぎりへの支出は増えている。
おにぎり専門店も増え続けている。創業51年の老舗おにぎり店「omusubi teshima」を訪ねた。その店でずっとおにぎりを握り続けてきたのが手島弘子さん(81歳)。omusubi teshimaではなんと1日平均500個を売り上げる。コツは握るのではなく包むこと。熟練の技で、中がふんわりやわらかいおにぎりが出来上がる。小さな体で厨房を歩き回り、テキパキと仕事をこなす弘子さん。とても81歳には見えない。平日は朝5時過ぎから働き始める。ほぼ休むことなく営業時間いっぱいの午後6時までとにかく精力的に動く。若い時と比べ身長が15cmほど縮んだというが、体は至って丈夫。休憩は3分で終える。
55年前、夫・章さんとともに「てしま米店」を開店。しかしその直後、オイルショックで物価が急激に高騰するなど、米店の売り上げだけでは戦えないと判断しおにぎりの販売を始めた。当時はおにぎり専門店など普及していなかった時代。厳しい声も聞かれたという。様々な困難を乗り越えおにぎり一筋頑張ってきた。元気に楽しくおにぎりを握り続けてきた弘子さんの手は赤い。右手でよそって左手に米を乗せるため、左手が赤くなってしまう。50年以上おにぎりを握ってきた手はふっくらと厚みがあった。地域のお母さんのような存在の弘子さん。その温かい笑顔に会いたくなるのは万国共通のよう。客からも「いつまでも握ってほしい」と言われる日々。弘子さんは「おいしく喜んでもらえるように(頑張る)」と語った。客は弘子さんの笑顔が見たくて通っている。
今日5月6日は迷路の日。「May」と「ろ」の語呂合わせで今日と決められたそう。瀬戸内海の小豆島に迷路のまちと呼ばれ狭い路地が迷路のように張り巡らされた街がある。三差路が60か所以上あり本当に迷路のようなのだが、なぜ、そんな街を作ってしまったと思うか。「敵が攻めてこないように」。正解。「強い海風から守るため」「海賊の攻撃をかわすため」など説はあるが、「南北朝時代に敵の攻撃に備えるためこうなった」ともいわれている。1970年の大阪万博では来場者も多かったが迷子がおよそ4万8000人も出てしまったそうだ。そこで今日はその時、大阪万博「迷子センター」に導入されたものは何かという問題。青:ひみつの質問、赤:テレビ電話、緑:誰の樋口一葉?。
1970年の日本の人口は1億467万人だったそうだが、大阪万博には半年で6421万人が来場した。当時の迷子センターはお菓子食べ放題、漫画読み放題、ジュース飲み放題で、親は案内所で子どもの情報を伝え迷子の情報と照会して捜してもらう。同じような特徴の子も多く、テレビ電話を使っていた。正解は赤:テレビ電話。当時はまだあちこち自由につなぐことはできず親のいる案内所と子どものいる迷子センターを限定的につないだものだった。
大谷選手のホームラン映像が届いた。本拠地ドジャースタジアムでの第4打席、今シーズン第10号ホームラン。文句なしのスタンドイン。この日は1回の第1打席でもホームランを打っていて、これで4年連続の2桁ホームランを達成。ホームラン数はリーグトップタイに浮上した。1試合2発も今季初である。
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- ドジャー・スタジアム大谷翔平