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オープニング映像。
新宿二丁目で半世紀に渡り営業を続けてきたショーパブ「白い部屋」。オーナーはコンチママこと近藤民男さん。2023年12月、わずか20ほどの客席は連日満員、例年以上の大盛況だった。しかしコンチママの「白い部屋」は大ピンチを迎えていた。年内以内に営業を終え立ち退くことが決まっていた。立ち退きの日が迫るなか、移転先は見つからず自ら探し回っていた。コンチママは自分がゲイだと気づいたのは中学生の頃。女手ひとつで育ててくれた母親に悟られたくなく、18歳で大阪を捨てた。職を転々とし流れ着いたのが新宿二丁目だった。知人に借金をし小さなゲイバーを始めた。壁が真っ白だったことから「白い部屋」と名付けた。10年後、今の場所に移転した。二丁目文化を築き上げてきたのが「白い部屋」だった。キャストたちによる本格的なショーが始まったのは30年前で多才なショータイムが店の売りになっていった。キャストたちは誰もがセクシャリティに悩み心に傷を負っていた。その人らしくいられる場所に、その思いでコンチママは店を守り続けてきた。立ち退きを機に店をたたむしかないのか心は揺れていた。
コンチママが店を継いでもらいたいと思ってきた人がいる。それがチーママの真琴さんだった。キャストたちには話せていない立ち退きについて真琴さんにだけ伝えていた。20歳のとき客として訪れた真琴さんをコンチママが白い部屋に誘った。ショーでも活躍しその後、二丁目で独立。コロナ禍で白い部屋が苦境に陥った2021年、コンチママに頼まれ戻ってきた。2023年7月、コンチママは自宅に真琴さんを呼び店について話し合った。真琴さんがオーナーを継がなければ白い部屋の歴史が途絶えてしまう。真琴さんが継ぐことになり、立ち退きと真琴さんに任せることをキャストたちに伝えた。10月、真琴さんは隅々まで目を配るコンチママを見て、改めて存在の大きさを感じていた。突然、スタッフのもとに白い部屋を継ぐことはできないとメールが送られてきた。12月21日、コンチママに会うと、移転先を見つける気力も沸かず年末を迎えようとしていた。12月29日、最後の日、名残を惜しんでお客さんが大勢やってきた。真琴さんはチーママの立ち場で引き続き働くことになった。盛大な宴が終わると立ち退きのための後片付けが待っていた。新しい店でのショーのために、衣装を一時保管するための場所へみんなで運んだ。
最後の営業を終えた翌日、コンチママはキャストたちを店に集め、給料を手渡し2月の頭からショーのレッスンを始めると伝えた。1月3日、コンチママは二丁目でバーを経営する知人からいい物件がると聞き、その店を訪ねた。立地は良かったが広いうえに家賃も高かったので断ることにした。
1月末、まだ店舗が決まっていなかった。キャストにはできる限りの休業手当を出しているがいつまで待てばいいのか。ひっきりなしに連絡がきた。この頃、白い部屋のショーに憧れ入店したアディーさんのもとを訪ねた。日本人の父とフィリピン人の母を持つアディーさん。女性として生きたいとずっと願ってきた。26歳で静岡を離れ白い部屋へ入店した。2月、コンチママは振付師の安河内ゆう子さんと空き物件を見ていた。その店は前の店より狭かったが、この場所で白い部屋を復活させることに決めた。
5月、5ヶ月ぶりにキャストたちが集まった。アディさんが真っ先に確認したのはステージの位置だった。真琴さんを中心にショーの稽古も始める。ほとんどのキャストが戻ってきたが辞めてしまった人もいた。コミックショーは真琴さんが加わりパワーアップした。白い部屋の復活まであと1か月となった。
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白い部屋のオープンまで3週間。ショーの稽古は一段と熱を帯びていた。6月、新しい看板に明かりが灯った。コンチママの最スタートを祝って、常連さんのほか、遠方のお客さんも駆けつけてくれた。開店まもなく満席となりショーが始まった。76歳で決めた新たな覚悟。もうすこしあがいて笑ってこの街で生きていくという。
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