- 出演者
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オープニング映像。
58歳になった最高齢のストリッパーである星愛美さん。大阪でのバースデーイベントを終えて帰宅し無事にステージを終えたことを報告する。実家では母親がバースデーケーキを用意してくれ一緒に食べた。ステージでの踊りは58歳とは思えない動きで観客を魅了する。バースデーイベント前に発覚したがん。摘出手術をするという事実はファンの間に動揺が広がった。とりわけ星組と呼ばれるファンのリーダーであるひこにゃんさんは精一杯のエールを送った。そして、抗がん剤治療で体力を失いながら治療を続けるよりもやめて残りのステージに人生を打ち込むことがやらなきゃいけないことということに逆に気が付いたなど話した。その後、後輩のるりさんと地方巡業を開始した。巡業後の食事でるりさんについて自身が色々積み重ねてきたこととか口にしないこととか全部言ってくれるから楽になっていくと話した。
後輩のるりさんの助けもありステージに戻ることができた愛美さんであるが新たな悩みが生まれる。それはステージで「無理しないでくださいね」など逆に心配させているのではというもの。さらに自分の思い通りにいかない体についても靴を履くだけで激痛が走るという。この日まさご座で踊る愛美さんを訪れると元気がない。お腹の調子が悪く体重も39kgとなりまたがんなのかなと頭をよぎり落ち込んでいるという。不安がある中それを見せずパフォーマンスを行った。その3カ月前、星組のリーダーであるひこにゃんさんは急性骨髄性白血病で入院しているという連絡が入った。ともに病と戦う決意を持って診察を受けると左足の付け根のリンパが腫れていると診察を受けたという。北九州市での公演がありその道すがら治療などの決断は35周年が終わってから行うと話した。
るりさんは愛美さんについて根性がレベチであるなど話す。中学生の頃の愛美さんは生活は荒れていた。歌手になれると騙され紹介されたのはセミヌードのモデル。19歳で結婚、死産を経験し21歳で離婚。AV女優を経て23歳でストリッパーとしてデビューした。その後再び六本木のママなどをしてきたが37歳の時に子宮頸がんを患って子宮を全摘出し、再びストリッパーに復帰した。2024年9月、愛美さんは講演会の仕事を引き受けた。依頼したのは社労士の団体で踏みつけられても何度も立ち上がる愛美さんを知ってぜひ話をしてほしいというものだった。愛美さんは初めて出会うスタッフに新鮮さを感じていた。直前まで打ち合わせを念入りに行った。公演では話のほかパフォーマンスを披露した。講演後にも参加者らが話を聞きに来て打ち解けた様子をみせた。その4日後検査結果を聞きに病院へ行く。
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診察から戻ってきた愛美さん。悪性ではないと母親に伝え、母親もホッとしたと話しおにぎりを作り、スタッフにもお裾分けした。10月2日、35周年の記念イベントで日本舞踊を踊りたいと知り合いの先生に稽古をお願いした。先生とは以前病院で知り合いその時の愛美さんの服がキティちゃんでカワイイらしいお嬢さんという印象だったなど話した。今回の分野は初挑戦であるなど話した。
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10月26日、デビュー35周年ライブが目前に迫り、愛美さんはホームグランドである東大阪に戻ってくると必ず神社へお参りする。そしてデビュー35周年ライブ当日を迎え、劇場にはファンからの花などが贈られていた。愛美さんは普段は飲まないように我慢しているすべてを懸けるため痛み止めを飲む。ライブには後援会の依頼をした関根光さんの姿もある。母が縫い上げた着物を着てパフォーマンスを実施。心配した股関節の痛みも薬もあり痛みはなく終わらせることが出来た。
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12月30日、晃生ショー劇場へと愛美さんが訊ねた。35周年の後の出来事を聞くと高熱などの症状が出て尿検査を実施、そのまま入院したという。細菌に感染し炎症を起こしていたという。現在は回復し体調も今までにない体の楽さを感じているという。母と作った羽の衣装はもう着れないと思っていたが着れると話しパフォーマンスを行った。
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