- 出演者
- 中居正広 笑福亭鶴瓶 杉原凜 ヒロミ 浜辺美波 嶋佐和也(ニューヨーク) 屋敷裕政(ニューヨーク) 野々村友紀子 赤楚衛二
オープニング映像。
面接官の小田はかつて恐喝の罪で服役。刑務所で親しくなった男と保険金1億円を手に入れるという計画を立てた。保険金殺人の被害者選びの面接に益田は応募してしまった。益田と20歳の女性は保険に入らされ、家の片付けなど美術品オークションとは程遠い仕事を行った。小田は仲間の1人が逃亡し計画は断念。しかし益田は勝手に家の手伝いをしていた。小田と益田は20歳以上年が離れていたが交際し始めた。小田は母親の家を燃やし、火災保険金2700万円のうち600万円以上を手にする。益田は会社の社長になり、小田は雇った社員に保険をかけ殺害しようとしていた。益田は一緒に応募した女性を会社に誘い、保険に加入させた。
従業員の女性に1億円の保険金をかけ、恐ろしい計画がスタートする。益田はテレクラで利用できそうな車を持つ男性を探した。益田は男性に睡眠薬を飲ませた。小田は車のカギを盗み男性の車を持ち出す計画だったが男性が起きてしまった。益田は小田が待つところへ女性を連れていき、小田は女性を殺害。男性を脅し女性を殺したかのような遺書を書かせ男性も殺害。2人の遺体を乗せた車に火をつけたが、車内の酸素が減り炎は小さくなった。小田は車のドアを開けたが顔をやけどをしてしまう。火がおさまるとメモを置き小田と益田は逃走した。
遺体発見は2日後。亡くなった女性には1億円の保険がかけられていて、受取人が益田で小田と交際していることも判明。ここから2人の逃亡生活が始まる。事件から10か月後2人は指名手配された。小田は金を工面するため窃盗を繰り返し益田は夜の仕事を始めた。3年後、小田は強盗事件で逮捕された。小田は殺人罪で逮捕、身柄は福岡に移されたが、殺人罪では証拠不十分との判断で不起訴処分になった。その後埼玉に身柄を移され強盗罪で懲役3年8か月の刑に。
逃げ出したいと思った事について。赤楚はドラマで麻雀の自動卓のシーンがありボタンを押してしまい、落ちてスタッフさんに申し訳なく思ったという。屋敷は芸人になる前にADをしていて「芸能人はすぐ文句を言う」などと話した。
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ダマされたダマした経験について。浜辺はシソンヌ長谷川に忘れ物が多いといじられ、忘れ物をしていないと言ったが前の日に財布を落としていたという。野々村は結婚前に夫が家事をすると言ったが結婚後は全然やっていないと話した。
野々村、浜辺、赤楚の子供の頃の写真を紹介。
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今年1月、八代亜紀が2023年12月30日に亡くなっていたというニュースが報じられた。去年の9月から入院し111日で帰らぬ人となった。八代は咳が出始め、手には発疹が出ていた。
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八代は病院を受診。膠原病は患者の多くは女性で、免疫システムに異常が起きると発症すると考えられている。膠原病と診断され、間質性肺炎を引き起こしていたため入院することになった。
バレないかドキドキした経験について。浜辺は自宅のエレベーターは気を使うという。屋敷は好きな芸人ランキングで3年連続1位だったが、母親が組織票で投票させていたと話した。
八代は休業を発表。免疫反応や炎症を抑える薬が効いたのか、すっかり元気になってきた。50年来の付き合いの元付き人中村たつえさんの人生は八代の出会いで大きく変わっていた。
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ヒロミ、ニューヨークの子供の頃の写真を紹介。
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八代の大ファンだったたつえさんはコンサートに頻繁に足を運んでいた。たつえさんは子守の仕事をしていて身寄りがなく天涯孤独。ドイツ人の家で住み込みで働いていた。八代はたつえさんを付き人にし、八代のそばにはいつもたつえさんがいた。たつえさんの年齢を考え、付き人ではなく生涯一緒に面倒を見ることになった。
八代は全国の少年・女性刑務所を訪ね慰問を行ってきた。絵の売り上げを交通遺児たちへ寄付、児童養護施設へ本や卓球台を寄贈し、被災地の熊本も訪問した。子供の頃から動物が大好きで捨てられた犬や猫の貰い手を探したという。
入院から2か月と2週間、治療の経過は順調。しかし検査結果は想定外のものとなった。八代は高校へは行かずバスガイドをしていた。人前で歌う仕事に憧れていて、家出同然で東京へ。巡り合った大ヒット曲は「なみだ恋」。たつえさんと八代は80歳になった時の「舟唄」を互いの励みにしていた。2023年12月10日、膠原病による自己免疫の暴走が肺を攻撃し、体に十分な酸素がいきわたっていないという診断結果が出た。検査結果から1週間で容体が急激に悪化した。
検査結果から1週間で容体が急激に悪化した。急速に間質性肺炎が進行したが、八代は気管の軟骨を切開し酸素を送れるようにする治療を拒否した。入院から111日、数日前から意識がない八代のもとに皆が集まった。八代は最後は一粒の涙が流れたという。多くのスタッフや仲間に囲まれ八代は73年間の人生の幕を閉じた。
膠原病の一つにシェーグレン症候群があり全国の患者数は約7万人。ある女性は24歳で突然発症。自己免疫が涙腺など外分泌腺を攻撃し目が乾くドライアイが多くの患者に現れ、自己免疫が唾液腺を攻撃し唾液が減少し口の中が乾燥する。微熱・倦怠感などで仕事も困難になった。現れる症状の部位により受診する診療科が違い専門に診る医師も少ない。本人が病気を自覚していない場合もあり潜在的な患者は多くいると考えられている。八代は自己免疫が肺を攻撃し急激に間質性肺炎が進行したというまれなケースでわずか4か月ほどで亡くなった。