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エジプトではかつて古代文明が3000年にも渡る繁栄を遂げた。今も各地にそびえる神殿や荘厳な墓は神の化身とされた王、ファラオたちが歴史に刻んだ足跡である。限りない神秘と尽きることのない謎、古代エジプト文明の最盛期に王国を率いたファラオであるツタンカーメンが被っていた黄金のマスクは人類史上最高峰の宝。しかし墓に眠っていたのは黄金のマスクだけではなく4000点を超える秘宝が見付かっている。100年前に発掘されて以来、人々の心をとらえ続けてきたツタンカーメンの秘宝を今回、エジプト政府の許可を得て高性能8Kカメラでとらえた。今、エジプトの考古学が新たな時代を迎えようとしており、ギザの三大ピラミッドの近くで建設が進む大エジプト博物館は2020年の開館に向けて学術調査が進められ、ツタンカーメンの宝に秘められた以外な真実が次々と明らかになっている。
ツタンカーメン王墓を紹介。エジプトは95%以上が砂漠、古代エジプト人はこの砂漠をナイルの恵みが及ばない不毛の地、デシェレトと呼んでいた。そのデシェレトをひたすら南、カイロからおよそ500キロメートル先、古代エジプトの都、ルクソールの直ぐ側に築かれた王家の谷がある。ここは歴代のファラオや貴族たちが眠る死者の街、60以上の墓が見付かっている。ツタンカーメンの墓もこの地にあり、今から約100年前、イギリス人考古学者、ハワード・カーターが8年をかけて発掘にあたり、谷の最も深い場所でツタンカーメン王墓の入口を発見。カーターが土砂を取り除くと階段とそれに続く通路が出現、カーターはその死までこの墓の全貌を調査し続けた。メモには墓の見取り図を記し、墓が4部屋からなることが判明、発掘当時の前室の写真には大量の副葬品が雑然と積み上げられ、カーターはここで黄金の輝きを目にした。ツタンカーメンが愛用していたという黄金の王座、儀式用ベッド、ハゲワシのネックレス、黄金の小厨子など身近な装飾品から厨子に至るまで黄金に包まれていた。黄金がどこよりも惜しみなく使われていたのが、厳重に封鎖されていた玄室、壁を破ってみると部屋いっぱいに陣取った巨大な厨子にはツタンカーメンのミイラが収まっていた。
第1の厨子は長さ約5.2メートル、高さは2.7メートル、金箔で覆われた板の上に古代エジプトの陶器、ファイアンスがはめ込まれている。繁栄を表すティト、安定・永続を表すジェドが交互に描かれ死者を守っている。巨大な厨子の中には一回り小さな第2の厨子がおさめられていおり、扉には金の浮き彫り死後の世界を旅するツタンカーメンが描かれている。冥界の支配者オシリス神に謁見している場面でツタンカーメンに永遠の命が授けられている。厨子の内側も浮き彫りで埋め尽くされており、古代エジプトの文字、ヒエログリフで死者の来世での復活を祈る呪文が書かれている。第2の厨子の中には第3、第4の厨子があり、そして現れたのが石棺、四隅には両手の翼を広げ、大切に棺を守る女神たちの姿が表現されている。石棺の中には第1人形棺が横たわっており、厨子のように幾重にも重ねられている。第2、第3人形棺があり、厨子から数えると80構造でツタンカーメンを守っていた。第2人形棺は約2メートル、厚い金箔に覆われ、棺の中央に主の名前が刻まれている。カルトゥーシュはファラオのサインであり、古代エジプトで聖なる昆虫とされたスカラベ、フンコロガシが太陽を支えている。ツタンカーメンがファラオに即位した時に授けられた名前、ネヴ、ケベルウ、ラーを表している。
足元にもファラオの守護神イシス女神が彫られており、棺全体を覆っているのがファイアンスは鳥の羽を真似たリシ模様と呼ばれ王族だけが使うことを許されたデザイン。第2人形棺の中から見付かった第3人形棺はエジプト史上でも類を見ない全身純金でできた棺で、1枚の黄金の板を叩いて作られた優美な曲線で模様が繊細に彫られており、使われた金の重さは110キログラムにも及ぶ。墓の入口を発見してから3年、80のベールに包まれた億に黄金のマスクは20前後で無くなったツタンカーメンの姿を今に伝える。マスクの重さは約10キログラム、頭にはファラオだけに許された特別な頭巾、メメスを被っている。ツタンカーメンのミイラは黄金のマスクと共に3000年の眠りについていた。ツタンカーメンのために使われた黄金は古代エジプトならではの特別な思いが込められていた。
エジプト博物館学芸員のアフマド・サミールさんによると「黄金は決して錆びないため永遠の象徴とされていた、神々の体も黄金でできていると信じられていたほどでファラオを何重もの黄金で包んだのは永遠の命を授かる、つまり来世での復活再生を遂げられるようにと願ったためです」などと解説。ツタンカーメンのミイラの写真には身の回りにふんだんに使われた黄金が確認でき、ミイラが腰の上に見に付けているものは黄金の短剣は純度の高い金で作られている。鞘には孔雀の羽根のような象嵌が施され、先端には狐と思われる顔、柄の部分にも金の粒をひし形にあしらった繊細な装飾、青い鳥は神と崇められたはやぶさをかたどったもの、柄頭にはツタンカーメンの即位名、ネヴ、ケベルウ、ラーが見ることができる。ミイラの足元の写真を見るとサンダルを履いており、これも黄金でできており、生前はパピルスやナツメヤシの葉で編んだものを履いており、網目を忠実に再現。足の指、両手には黄金の指サックをはめており、黄金で全身を包む徹底ぶりから復活再生への執念が伝わってくる。古代ギリシャの歴史家、ヘロドトスは「エジプト人は他のいかなる民族よりも遥かに宗教的である」と言った。古代エジプト人は夕方沈んだ太陽が再び昇るように人間は死んだら来世で復活再生すると信じており、ミイラは復活再生の時に必要となる肉体、それを永遠の象徴である黄金で包んだのは来世での復活を確かなものにしようという切なるものへの思い、祈りだった。
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黄金はどこから来たのかを紹介。約5000年前に始まり3000年続いた古代エジプト文明、その丁度中頃がツタンカーメンが生きた新王国時代である。日本が縄文時代の末期、古代エジプト文明は最盛期を迎え、多くの黄金にあふれていたという。当時の壁画にエジプトの支配下にあった異民族ヌビア人が金塊を表したものを運んでいる様子が描かれている。ヌビアは現在のスーダンとの国境あたりを中心に広がっていた国、その名は黄金を表すヌブに由来すると言われている。毎年250キログラムにものぼる金がここで採れ、エジプトにもたらされたという。かつてのヌビア一帯は今、ナイル川の氾濫を防ぐアスワンハイダムが生んだナセル湖になっており、その水辺にそびえるアブ・シンベル神殿は金の供給地として欠かせないヌビアを牽制するために建てられたもので、高さ20メートルの居並ぶファラオの像がヌビアに睨みを効かせていた。ツタンカーメンの墓から見付かった数々の秘宝、ヌビアの金はトルコ石のブレスレット、黄金の耳飾り、スカラベのオーナメントなどの小さなアクセサリーまでふんだんに使われ、その特性を生かした繊細な装飾品が数多く作られた。
エジプト中部の町、ルクソールはツタンカーメンの祖父であるアメンヘテプ3世のアメンヘテプ3世葬祭殿が築かれた場所。今も発掘が続くこの場所で公益ネットワークを覗わせる発見があり、ホーリング・スルジアン博士は「私たちはここで素晴らしい発見をしました、アメンヘテプ3世の像の台座には周囲の国々の地名が刻まれていたのです、南のクシュ王国から北はエーゲ海の島々、ギリシャに至るまで多くの港町の名前です、エジプトは周辺国と政治、芸術、商業など広い公益があったということです、地中海やアラビア半島を超え世界と繋がった公益ネットワークは周辺諸国をエジプトに引き寄せたものこそ、黄金であり、豊富な金と引き換えにエジプトに世界中の珍しい宝石や貴重な素材がもたらされていた。古代エジプトの国際性を実感させる秘宝の数々、太陽の誕生ネックレスの中央でスカラベが支えているのが太陽、左右に控えるヒヒの体はシナイ半島で採れたトルコ石、頭上には黄金の満月、その下の銀は西アジア産と考えられる。紫アメジストのブレスレットには紫アメジストでできたスカラベがあしらわれ、さらに4000キロメートル離れたアフガニスタンから届けられたラピスラズリは当時、その美しさと貴重さから世界中で珍重されていた。黄金とラピスラズリの組み合わせを古代エジプト人は最も愛したという。
古代エジプトの美と豊かさの粋を集めたのが黄金のマスクであり、一層金を輝かせる立体的な造形、力強い眼差し、眉毛や目の周りを覆う濃い青はラピスラズリ、黒目はトルコ産と言われる黒曜石、白目はマグネサイトという天然石を粉にして固めたものでよく見ると混じりには薄っすらと赤い血管があり、マグネサイトの中に赤い塗料を塗り込んで毛細血管を表現、頭巾に走る青いラインはコバルトを用いて作られた青色ガラスでできており、古代エジプトで誕生した濃い青はツタンカーメンブルーと呼ばれている。黄金のマスクは顔の金と頭巾の金が僅かに違っており、世界で初めてマスクのX線分析を手がけた宇田応之さんによると表面から純度の異なる金が検出されたという。「地金は強度を持たせるために銅を入れた、表面は美しく見せるために18金とか23金とかそういう粉末を作って塗布した」などと解説。頭も頭巾も地金は同じ板を打ち出して作られたが、表面は純度の異なる18金と23金が使われており、地金の上からさらに金のコーティングを施しているということになる。宇田応之さんは「顔の部分と頭巾の部分の金色にははっきり差が出ています、これは明らかに美を意識した塗装なんです」などと解説、顔の表面には銀を12%ほど混ぜた18金、頭巾は23金で薄くコーティングされより純金に近いコーティングをしており、顔と頭巾の色にコントラストを作り、顔だけを浮かび上がらせる効果を出している。宇田応之さんは「非常に薄い層をぬってあるんです、どの程度うすかというと人間の髪の毛の太さの1000分の1以下、たぶん3000分の1くらい、これは現代のハイテク、つまりナノテクノロジーと全く同じくらいの技術を必要とする」などと解説した。
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ツタンカーメンの秘宝研究最前線を紹介。ギザの三大ピラミッドの近くで建設が進む大エジプト博物館、敷地面積は約東京ドーム10個分、世界最大級の博物館は現代のピラミッドと称されている。2020年のオープンにはエジプト文明を網羅する10万点もの文化財が収蔵予定、コレクションの目玉はツタンカーメンの全秘宝約4000点、これまでエジプト各地の博物館に収められていたものが初めて一同に介することになる。 大エジプト博物館保存修復センターでは開館に先立って膨大な文化財の調査や修復が進められており、余りにもツタンカーメンが多くその7割が研究が追いついていないと言われ、ここはツタンカーメンの謎に迫る最前線でもある。ツタンカーメンの墓から見付かった木箱の写真にはボロボロに崩れたサンダルが収められていたが、2018年に修復作業を終え、作られた当時の姿に戻り、中央には復活再生の象徴ロータスの花、左右に咲くのはヒナギク、その間にあしらわれているのがアヒル、木箱の中でバラバラになっていたビーズも一つ一つ丁寧に繋がれ修復を終えた。
これまで分からなかったサンダルの作りや技術の高さが明らかになったという。カイロ・アメリカン大学のアンドレ・ヴェルデマイヤー博士は「これは本当に素晴らしいサンダルです、砂漠では砂が入ってくるものですがそれを防ぐように出来ています、黄金の中敷きの下にはクッションが詰められていて現代と同じようにとても柔らかく歩きやすい構造になっています、ツタンカーメンのために様々な技術が組み込まれていたことが分かりました」などと説明。発掘当時、壁に積み上げられていたが手前の車輪とセットで組み上げてみるとチャリオットになった。墓が狭いため解体して収められており、チャリオットに乗るツタンカーメンの姿も残されている。戦争で異民族に弓を射るツタンカーメン、ファラオは民衆を率いる強い戦士であることが求められていた。チャリオットそのものにも縁側にヌビア人や西アジアの捕虜たちが首や腕を縛られているのが見られ、外側にびっしりと描かれたうずまきは力強さを象徴するライオンの分け毛を模したもの、奥ではスフィンクスの姿で表現されたツタンカーメンが異民族を踏みつけ、さらに勝利を招く戦闘の神、ベスも彫られている。ツタンカーメンの墓からは全部で6つのチャリオットが見付かっており、その一つは戦闘以外の目的で使われたといい、傘の骨組みのようなものはチャリオットの天蓋だと考えられている。
金沢大学准教授である河合望博士は「我々の調査によっておそらく戦車にくっつくだろう、これはおそらく戦闘用ではなくてパレード用の特別な戦車、黄金に輝く戦車にツタンカーメンが乗っていて人々が崇めた」などと解説。研究によって長年のミステリーに終止符を打たれた秘宝もあり、ミイラが腰に刺していた鉄の短剣、当時のエジプトは青銅器を作る技術はあっても鉄を作る技術はなかった、しかも短剣はほとんど錆びておらず、ミラノ工科大学のダニエーラ・コメッリ博士は「短剣を調べたところ鉄の他に2つの元素が見つかりました、ニッケルとコバルトです、このような組成の鉄は自然界には存在しません、実はこの短剣は隕石の鉄から作られているのです」などと解説。短剣の材料は鉄隕石であることが判明、これは言わば天然のステンレス、黄金と同じように錆びずに永遠の輝きを放つこの素材もツタンカーメンの復活再生の願いを叶えるのにふさわしいと考えたとみられる。3000年もの長きに渡ってツタンカーメンと共に眠っていた黄金の秘宝達、その一つ一つにファラオの復活再生を求めた古代エジプト人の祈り、永遠の命を信じたツタンカーメン自身の願いが込められており、永遠の命への果てしない渇望がもたらした黄金のマスクの後ろには「右目は昼の天空を航行する太陽の船、左目は夜の天空を航行する太陽の船、眉毛は九柱神(天地創造の神)、額はアヌビス神(死者の守護神)」と記されており、古代エジプトの神々がマスクの至るところに宿っていた。黄金のマスクはツタンカーメンの似姿であると共に復活のために集められて神々の化身でもあり、マスクに刻まれた言葉の最後には「冥界の支配者オシリス神がツタンカーメンを完璧な道へと導きますように」と記されている。
エンディング映像。