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「ラピスラズリ」 のテレビ露出情報

黄金はどこから来たのかを紹介。約5000年前に始まり3000年続いた古代エジプト文明、その丁度中頃がツタンカーメンが生きた新王国時代である。日本が縄文時代の末期、古代エジプト文明は最盛期を迎え、多くの黄金にあふれていたという。当時の壁画にエジプトの支配下にあった異民族ヌビア人が金塊を表したものを運んでいる様子が描かれている。ヌビアは現在のスーダンとの国境あたりを中心に広がっていた国、その名は黄金を表すヌブに由来すると言われている。毎年250キログラムにものぼる金がここで採れ、エジプトにもたらされたという。かつてのヌビア一帯は今、ナイル川の氾濫を防ぐアスワンハイダムが生んだナセル湖になっており、その水辺にそびえるアブ・シンベル神殿は金の供給地として欠かせないヌビアを牽制するために建てられたもので、高さ20メートルの居並ぶファラオの像がヌビアに睨みを効かせていた。ツタンカーメンの墓から見付かった数々の秘宝、ヌビアの金はトルコ石のブレスレット、黄金の耳飾り、スカラベのオーナメントなどの小さなアクセサリーまでふんだんに使われ、その特性を生かした繊細な装飾品が数多く作られた。
エジプト中部の町、ルクソールはツタンカーメンの祖父であるアメンヘテプ3世のアメンヘテプ3世葬祭殿が築かれた場所。今も発掘が続くこの場所で公益ネットワークを覗わせる発見があり、ホーリング・スルジアン博士は「私たちはここで素晴らしい発見をしました、アメンヘテプ3世の像の台座には周囲の国々の地名が刻まれていたのです、南のクシュ王国から北はエーゲ海の島々、ギリシャに至るまで多くの港町の名前です、エジプトは周辺国と政治、芸術、商業など広い公益があったということです、地中海やアラビア半島を超え世界と繋がった公益ネットワークは周辺諸国をエジプトに引き寄せたものこそ、黄金であり、豊富な金と引き換えにエジプトに世界中の珍しい宝石や貴重な素材がもたらされていた。古代エジプトの国際性を実感させる秘宝の数々、太陽の誕生ネックレスの中央でスカラベが支えているのが太陽、左右に控えるヒヒの体はシナイ半島で採れたトルコ石、頭上には黄金の満月、その下の銀は西アジア産と考えられる。紫アメジストのブレスレットには紫アメジストでできたスカラベがあしらわれ、さらに4000キロメートル離れたアフガニスタンから届けられたラピスラズリは当時、その美しさと貴重さから世界中で珍重されていた。黄金とラピスラズリの組み合わせを古代エジプト人は最も愛したという。
古代エジプトの美と豊かさの粋を集めたのが黄金のマスクであり、一層金を輝かせる立体的な造形、力強い眼差し、眉毛や目の周りを覆う濃い青はラピスラズリ、黒目はトルコ産と言われる黒曜石、白目はマグネサイトという天然石を粉にして固めたものでよく見ると混じりには薄っすらと赤い血管があり、マグネサイトの中に赤い塗料を塗り込んで毛細血管を表現、頭巾に走る青いラインはコバルトを用いて作られた青色ガラスでできており、古代エジプトで誕生した濃い青はツタンカーメンブルーと呼ばれている。黄金のマスクは顔の金と頭巾の金が僅かに違っており、世界で初めてマスクのX線分析を手がけた宇田応之さんによると表面から純度の異なる金が検出されたという。「地金は強度を持たせるために銅を入れた、表面は美しく見せるために18金とか23金とかそういう粉末を作って塗布した」などと解説。頭も頭巾も地金は同じ板を打ち出して作られたが、表面は純度の異なる18金と23金が使われており、地金の上からさらに金のコーティングを施しているということになる。宇田応之さんは「顔の部分と頭巾の部分の金色にははっきり差が出ています、これは明らかに美を意識した塗装なんです」などと解説、顔の表面には銀を12%ほど混ぜた18金、頭巾は23金で薄くコーティングされより純金に近いコーティングをしており、顔と頭巾の色にコントラストを作り、顔だけを浮かび上がらせる効果を出している。宇田応之さんは「非常に薄い層をぬってあるんです、どの程度うすかというと人間の髪の毛の太さの1000分の1以下、たぶん3000分の1くらい、これは現代のハイテク、つまりナノテクノロジーと全く同じくらいの技術を必要とする」などと解説した。

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