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オープニング映像。
希帆さんは学校に戻り、部活のメンバーに迎えられた。練習と治療を続けていく。希帆さんは今後についてやれることをやっていきたいと思いますと話す。
その後希帆さんは練習を続けJBA長崎ソロコンテストの九州大会予選に出場。2014年2月事故で延期となった推薦入試を受ける。受かれば奨学金免除などの資格を得る。希帆さんは推薦入試で合格することができたが特待生の資格を得ることはできなかった。
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- JBA長崎ソロコンテスト
2014年4月に大学生となった希帆さん。その3年後2017年。希帆さんは大学時代、前歯にインプラントを施して練習を重ねたが、かつての音色を取り戻すことはできなかった。しかしその後、母校を訪れて後輩を指導したり、後輩を指導する教諭たちを見て、自身も高校教師になりたいと思うようになり、教職課程を履修して長崎県の教員採用試験を受けた。合格はできなかったが、2018年から長崎県立口加高校の音楽教師・吹奏楽部顧問として臨時採用された。2018年4月授業の日、希帆さんは生徒たちに事故に遭ったことやその結果の起きた経験について伝えた。採用1年目の吹奏楽部の部員数は17人で少人数というハンデを背負いながらも県の吹奏楽コンクール金賞を目指し挑み続けた。事故について聞くとあんまり考えていないが飲酒運転の事故とかのニュースとかで「軽傷」など伝えられても本当に苦しんでいる人もいるのかなと考えるなど述べた。
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- 長崎県立口加高等学校
吹奏楽部で奏でられる音色は事故で奪われた夢の続き、諦めたって思わな限りはまだ夢の途中、生徒の演奏だからそ自分の音楽だと妥協できないなどと中村明夫さんに伝えられ仕事とか思わずそれを目指して同じ時間を過ごして欲しいとアドバイスをもらう。練習を続けコンクールに出場。結果は金賞は逃すが銅賞を獲得した。
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- 長崎県立佐世保東翔高等学校
希帆さんは2021年、音楽講師になって3年目に九州文化学園から吹奏楽部の立ち上げに協力してほしいと声がかかり決断した。有志5人で始めた吹奏楽同好会は翌年に部に昇格。コロナ禍などの様々な制限に耐えながらも吹奏楽部の音色が止まることがなかった。事故から10年となった今年、希帆さんは部員たちと初めての定期演奏会にのぞむことになった。
希帆さんは部員たちと初めての定期演奏会にのぞむことになった。リハーサルでは情けない演奏と集中しようと部員たちに叱咤激励する。そして本番を迎え演奏が開始された。
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- 九州文化学園高等学校
2023年3月、恩師の中村教諭は高校教師を退職し希帆さんと同じ学校法人の短大准教授として音楽の指導をすることを決めた。中村教諭は吹奏楽部の部員たちに「絶対で自分で自分を見捨てるな」などの言葉を送った。希帆さんは29歳となった今も事故前の音色は取り戻せていないが、続けていればいつか乗り越えられると信じている。希帆さんは10年前の事故について、「軽傷」という一括りではない。諦めずに続けることが大事と語った。
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- 祈り、そして誇りを胸に