2026年9月13日放送 10:00 - 11:00 テレビ朝日

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「虐殺のレリーフ ?スパイと見なされて?」

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オープニング

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虐殺のレリーフ -スパイと見なされて-
虐殺のレリーフ -スパイと見なされて-

沖縄県・久米島。戦時下、日本軍は久米島の島民20人を敵国・アメリカ軍のスパイだとして虐殺した。8月20日、去年に続き追悼式が行われた。追悼式を提案したのは上江洲教昭さん。教昭さんは琉球王朝時代から伝わる古典音楽の師匠だ。教昭さんが無念の想いを持ち続けけてきたのは小学校3年生のときの親友、谷川カズオくんのこと。家族7人全員が日本軍に惨殺された。地上戦となり焼土と化した沖縄本島。アメリカ軍が久米島に上陸したのは沖縄戦が集結した3日後のこと。山の奥深く、日本軍の豪がいくつも残っている。当時、久米島に駐留していた日本軍は30人ほどだった。島民を大量に動員し、豪を掘らせ潜伏していた。隊長は海軍の鹿山正兵曹長。鹿山隊長はアメリカ軍を恐れ、通達を出していた。敵と関わった島民は「スパイ」とみなし処分するというものだった。島民の証言に基づいて描かれた「久米島の虐殺」。アメリカ軍が上陸して3日後、牧場主や地域の区長ら9人もの島民が処刑された。アメリカ軍に聴取を受けた島民を鹿山隊に引き渡さなかったことで連帯責任を問われたのだ。最後は家もろとも焼き払われた。鹿山隊に配属された久米島出身の仲原善助さんは虐殺に関わった兵士から翌朝この事実を聞かされた。仲原さんは手記を残していた。「同じ日本人が同じ日本人を何の罪もない民間の人々を大量に虐殺するとは。その罪、永劫に許さるべきではない。」。手記には島民9人を一列に並ばせて殺した場面とともに日本軍を案内した人間がいたことも記されている。島民は巻き込まれていく。軍に協力したり密告をするものが出てくる。次にスパイ容疑をかけられたのが仲村渠明勇さん。海軍兵だった仲村渠さんは沖縄本島でアメリカ軍の捕虜となったときに久米島への艦砲射撃をやめるよう直訴し島を救った。その後、島民には投降を促した。生き延びた島民は「命の恩人だ」と語るが、仲村渠さんの行為は日本軍の逆鱗に触れた。島の住民から相次ぐ密告。追手が迫るなか8月15日の終戦を迎える。だがその3日後、仲村渠さんは隠れ家で捕まり、妻と幼い子どもとともに惨殺された。戦後、鹿山元隊長は加害の事実を認め、開き直っている。教昭さんの親友・谷川カズオくんの家族も付き狙われた。終戦から5日たった8月20日、日本軍は谷川カズオくんと家族に軍刀を浴びせた。

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鹿山隊が降伏したことで虐殺を免れた上江洲由美子さんは島民の証言を集めて1冊の本に記録してきた。由美子さんは今も残された史料を探し出し、調べ続けている。「お国のため」、戦時下、国は軍事に関わるスパイ行為を処罰する「防諜法制」を強化していった。スパイ行為の処罰の対象を軍事だけでなく外交や経済、さらにそのほかの重要な国家情報に対するものとしてなんとでも解釈できるように広げていった。最高刑は死刑。帝国議会の審議ではスパイ防止のために国民に密告を促していた。答弁したのは阿南惟幾陸軍少将。終戦時には陸軍大臣となり、最後まで徹底抗戦を唱えた人物だ。政府はスパイに目を光らせるよう国民をあおっていく。政府が毎週発行していた広報誌では繰り返しスパイ防止の心得を説いている。その要は「真の日本人たること」、「戦い抜く心に緩みが出来たり、一致結束を乱すものは“第五部隊(スパイ)”と差異はない」。国や軍に協力したいものはスパイのレッテルを貼られていく。その行き着く先。沖縄の日本軍第32軍が作成した文書は、アメリカ軍に押収され明らかになった。地上戦を想定した第32軍はスパイの取り調べを強化し、行動不審者というだけですぐに通報するよう指示していた。由美子さんは担任の先生から谷川さん一家を見殺しにしたことを打ち明けられた。先生が亡くなる直前のことだった。

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この事件は島を分断した。教昭さんは風化させてはいけないと、思いを託された神里稔さんと西銘豊さんは、彫刻家の金城実さんに依頼。金城さんはレリーフを作ることを決意した。同時に神里さんらは追悼式を行なうべく実行委員会を設立。だが地域の人からは反対の声も挙がった。

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スパイだとして日本軍に密告した者・された者。地元の分断は今も根深い。レリーフは事実を直視する案から迷走していく。久米島で起きた虐殺をレリーフに描くためには被害者の遺族から了承を取りつけたい。しかし遺族がどこにいるのかさえ不明。仲村渠明勇さんの生家がある地域に向かった。仲村渠さんの遺族たちは久米島を去り、沖縄本島に渡っていた。その情報をもとに西銘さんたちは本島に飛んだ。過去の住所を手繰り寄せ、捜して回った。そして遺族を見つけ出した。

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西銘さんたちは仲村渠さんの遺族を見つけ出した。一家全滅で途絶えたとされた遺族も探し当てた。9人が一斉に殺されたうちの1人で牧場主だった宮城栄明さん。遺族の了承を得たことでレリーフの製作が始まった。紆余曲折を経て虐殺を描いたレリーフが完成した。完成したレリーフをもとに久米島で起きた虐殺を語り継ぐガイドの勉強会が始まった。講師をお願いした長嶺智子さんは沖縄戦の平和ガイドを続けてきた。実は長嶺さんの母親は久米島の国民学校の教師で、谷川和夫くんの担任の先生だった。虐殺の実相をどう伝えれば良いのか。長嶺さんの母親は戦時中、教師として軍国主義を教え子たちに叩き込んできた。当時の国民学校の記憶。「お国のため」という意識を自分が植え付けた、そして教え子の和夫くんは虐殺された。長嶺さんの母親は戦後、激しい後悔の念に駆られたという。長嶺さんは母親の言葉をもとに虐殺について投げかけている。虐殺の事実をどう語り継いでいくか、模索を続けている。教昭さんの親友だった谷川和夫くん。ついにその遺族が見つかった。

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