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オープニング映像。
広島県と岡山県をつなぐ全長159.1kmを走るJR芸備線。地域の衰退とともに乗客は減り今や全国屈指の赤字路線。昭和9年に建てられた小奴可駅、JRの職員が常駐しない無人駅だがJRから委託を受け窓口で切符を売る林嘉啓さん。しかし突きつけられた廃線の危機、それでもローカル鉄道を愛し頑張る人たちがいた。
大正4年芸備鉄道として開業。2022年JR西日本はこれまで明かしてこなかった芸備線の赤字データを公開し廃線議論を持ち出した。芸備線の区間の内最も採算がとれない駅の1つが林さんが切符を販売するJR小奴可駅。林さんは駅舎でタクシーや貸切バスの会社を運営し、さらに駅の隣のスーパーも経営しているという。JR西日本は1kmあたりの平均利用者数が2000人未満の区間について維持していくことは非常に難しいとしているが、芸備線の一部区間は大きく下回る100人以下。備後西城駅もその区間にあり、岡崎さんは備後西城駅で切符を販売している。本業は観光協会の職員で2018年に福岡県から移住してきたという。駅の利用者はほとんどが生徒たち、岡崎さんは毎朝見守っている。備後八幡駅のJR発表の乗車人員は0人、昔は栄えていた駅だという。2023年3月、車両が落石に衝突して脱線するという廃線の危機に追い打ちをかける出来事が起きた。芸備線は一部区間で運休した。皮肉にも廃線の危機が話題となり鉄道ファンが訪れていた。運行が再開したのは事故発生から4ヶ月後、夏休みで芸備線の各駅は鉄道ファンで賑わっていた。町の中心部にあるショッピングセンターでは芸備線のシンポジウムが開催され、六角精児が参加した。失われないよう関心を持ってもらいたかったという。小奴可駅の林さんにJR西日本から呼び出しの電話がかかってきた。林さんにいつもの笑顔は見られなかった。
新見駅に林さんがいた。JRから感謝状をもらったとのこと。その1ヶ月後、備中神代駅~備後庄原駅の区間の再構築協議会が設置された。存廃やバスへの転換が協議され3年以内に結論を出すというもの。ついにカウントダウンが始まった。JR小奴可駅では林さんがいた。とくに連絡はないという。芸備線に雪の季節がやってきた。林さんは若い頃、料理店に務めたことがある。塩ぶりを作る。店は人手不足。林さんは頼りにされている。小奴可駅に降りるひとは1人。大阪から帰省したとのこと。母に会いに来たという。林さんの店を義理の息子が手伝う。2024年3月、再構築協議会が始まった。広岡研二広島市社長も出席。存続は厳しいと発言。JRは何を目指しているのかと批判的な林さん。
存廃を話し合う協議会の議論は続くが小奴可駅の日常は変わらない。一方、鉄道を支えていた地域は確実にすぼみ始めていた。年末に一人暮らしの母がいる実家に帰省していた大阪在住の石原さん。息子の帰りを待っていた母は亡くなっていた。そして、名物ガイドの熊本洋道さんも亡くなった。小奴可駅で切符を販売する林さん。駅の他にも守りたいものが母校の東城高校。今年の乳がん志願者は12人しかおらず、来年30人の入学がないと募集停止の対象になるという。高校受験を控える中学生に向けた講演会が予定されていた。同窓会の副会長でもある林さんは、東京から来る専門家に手作り弁当を差し入れるという。地元の食材で作る手作り弁当がテーマ。昔から備北地方に伝わるワニ料理も。ワニとはサメのことで、湯引きの他に刺身も用意。さらに松茸より高級と言われる香茸の炊き込みご飯。かつては芸備線に乗って多くの生徒たちが東城高校に通っていた。今は芸備線で登校する生徒は0人。この日高校にやってきたのは地方創生の専門家。会社の井戸水や弁当でおもてなし。専門家は市役所に集まった高校受験を控えた中学生に、地元の魅力とどうやれば地域が盛り上がるかを語った。母校に並々ならぬ思いを持つ林さん。ポケットには特別なお守りを忍ばせていた。日が暮れた午後7時過ぎ、東城高校で、地域の人達が作る「東城高校を永続させる会」が開かれた。生徒のアルバイトを可能にすることや、国際交流をする際には補助金を出すなどより中学生に選んでもらう学校にするために話し合いを続けてきた。新入生を対象に入学支援金も始める。
2026年1月、芸備線の一部区間は積雪のため運休となっていた。林さんは、夜が明ける前から駅前の除雪作業をしていた。ホームはJR西日本から委託された建設会社が除雪を行う。スタッドレスタイヤにして代行バスに備える。
2026年3月、広島県立東城高校の卒業生は29人。新入生はそれを下回る22人。いきなりの廃校は免れたものの、学校の存続について話し合いが持たれることになった。無人駅の守り人は今日もホームに立ち見守っている。
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