2025年10月5日放送 10:00 - 11:00 テレビ朝日

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「遺骨はある 海底炭鉱で待つ183人」

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遺骨はある 海底炭鉱で待つ183人
遺骨はある 海底炭鉱で待つ183人

山口県屈指の工業都市・宇部市。発展の礎となったのは石炭産業。炭鉱の多くは陸地から掘り始め、海底のさらに下を掘り進める海底炭鉱だった。その1つが長生炭鉱。長生炭鉱の跡地にはピーヤ(排気口)が当時のまま残っている。ピーヤ近くでは長生炭鉱の勉強会が開かれていた。主催は遺骨収集・返還を目指す市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」。共同代表の井上洋子さん。希望者1人からでも勉強会を開いている。長生炭鉱があった場所では海底から47m未満の採掘は法律で禁止されていた。しかし、実際は最深部でも37mしかなく、危険な浅い層で採掘を行っていた。長生炭鉱で働いていた人の「日頃は石炭を掘っていましたが、福岡鉱山監督署から見回りにきた時は、扉を閉じて、仕事をしないよう見せかけていました」との証言が残っている。戦争拡大に伴い石炭の需要は膨大に増えていった。それに伴う労働力不足を補うため、当時、日本の植民地だった朝鮮半島から66万人以上が動員された。朝鮮半島からの労働者の動員方法は募集→官斡旋→徴用と次第に国の関与が高まったが、長生炭鉱は募集の時期に1258人を集めていた。ところが刻む会が建てた追悼碑には“強制連行”と刻まれている。韓国南部の都市・大邱。長生炭鉱で働いた朝鮮半島出身者の多くは現在も韓国南部の人たちだった。韓国遺族会会長のヤン・ヒョンさん。これまで多くの遺族に聞き取りを行ってきた。「当時は飢饉で、本当に食べていくのが大変で、そういう人たちを募集人が狙うんです。「日本に行けば、たくさん食べられて、たくさん稼げる」と。私の叔父も話を聞いている」と話した。ウ・チョルホさんは叔父が長生炭鉱に行った経緯を父親から聞いたという。「面(町・村)が「この人」と選んで連れて行った」と話した。宇部市史には当時は募集という名目の強制連行が行われていたと記載されている。さらに“長生炭鉱は特に坑道が浅く、危険な海底炭鉱として知られ日本人から恐れられたため朝鮮半島出身者が投入されることになった模様”と記されている。井上さんは勉強会の最後に、ある朝鮮半島出身者の手紙を紹介した。太平洋戦争開戦から2か月後の1942年2月3日、その日はいつもより多くの石炭を出すよう現場に指示が出されていた。無理な採掘を続けた結果、沖合およそ1キロの坑道で天井が崩れ海水が流入。構内にいた183人が死亡し、そのうち136人が朝鮮半島出身者だった。炭鉱の運営会社は遺体を放置したまま解散。事故の後に坑道の入口である抗口は埋め立てられ、炭鉱の敷地は荒れ地となっていった。長生炭鉱の存在は自然に人々の記憶から忘れ去られていった。

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刻む会のこの日の活動は長生炭鉱跡地の清掃。1950年長野県天龍村出身の井上さん。朝鮮人強制連行の記録という本に出会った。1940年から始まった平岡ダムの建設工事では多数の外国人が亡くなっている。ダムの近くには火葬場の跡がある。外国人の多くは火葬されたが、焼ききれない人は谷に投げ捨てられたこともあったという。1972年、井上さんは結婚を機に宇部市に移り住み長生炭鉱のことを知った。1991年に発足した刻む会は毎年事故があった2月に韓国からも遺族を招いて追悼式を開いてきた。遺族のチョン・ソッコさんは父親のチョン・ソンドさんを事故で亡くした。事故の犠牲者183人のうち47人は日本人であった。日本人遺族の1人・常西勝彦さんは事故で父親が亡くなった4日後に生まれていた。常西さんは故郷の宇部市に先祖の墓を立てたがまだ父親の初忠さんの遺骨だけが入っていない。刻む会はこれまで国に何度も長生炭鉱の遺骨の調査を要望してきた。国を動かすため、刻む会は独自に遺骨収集の開始を決めた。

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去年7月、遺骨収集に向けた調査が始まった。まずは潜水を試みる。請け負ったのは沈没船などの調査を専門とする伊佐治佳孝さん。調査するのは沖縄のピーヤ。遺骨があると思われるエリアに進めるかを調べたが、ピーヤからの遺骨収集は現状では困難なことがわかった。遺族のチョン・ソッコさん。92歳になり、認知症が進んでいるという。今は家族のサポートを得て生活している。ソッコさんの父親のふるさとにある、韓国式の墓には長生炭鉱から持ち帰った土が埋められている。刻む会は抗口の掘り起こしに着手した。遺骨収集調査にかかる費用は全て寄付で賄っている。ついに抗口が見つかった。抗口から入れば遺骨があると思われる坑道奥まで到達できる可能性がある。抗口からの潜水調査が始まった。刻む会による調査について、国は「国による実地調査の実施や民間調査への協力は現時点においては考えていない」としている。それでも続く刻む会の調査。韓国人ダイバーも潜水調査に参加した。しかし、調査を重ねるにつれ、厳しい現実も見えてきた。抗口から200mほど進んだ先が崩れていることがわかり、遺骨は見つからなかった。刻む会はピーヤ内の障害物の撤去を始めた。調査と平行して国に支援の要請を続けた。調査開始から1年。刻む会は総額5000万円の寄付を資金に調査を重ねた。この日は障害物が取り除かれた沖のピーヤから本坑道に入った。坑道内は極めて視界良好。靴のようなものが見つかった。

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脚や腕の骨など3本の人骨が海の中から見つかった。翌日には頭蓋骨もみつかった。水中探検家の伊佐治佳孝さんは、御遺骨を収容できることがやれることがわかったという。まだ坑道の中に眠っている可能性があると井上洋子さんがいう。頭蓋骨がみつかった周辺には靴のようなものを履き横たわる人のようなものが映っている。日本の戦争のために、日本がはじめた植民地政策のために亡くなった人たちを日本政府は放って置くのかと井上さんがいう。遺骨を警察に引き渡し、DNA鑑定を依頼した。韓国政府・刻む会は、遺族約80人のDNAデータを保有している。福岡資麿厚労大臣は、現時点で税制支援についての検討は進めていないという。長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会の調査には、遺骨問題に取り組む人たちが、全国から参加。具志堅隆松さんは沖縄から駆けつけた。具志堅さんは、43年間、沖縄戦の戦没者の遺骨を収集。集めた遺骨は400人分。映像には少なくとも3人ぶんの遺骨が映っていると分析した。水死体状態だという。海底遺骨はDNAをとりやすいという。戦没者遺骨収集推進法では、遺骨収集は「国の責務」、対象は戦闘行為などで亡くなった人としている。厚生労働省は“長生炭鉱の犠牲者は戦没者には当たらない”として、遺骨の収集には否定的である。長生炭鉱での潜水調査中、ダイバーの無事を祈り続けた僧侶がいた。東京・国平寺の住職で在日コリアンのユン・ピョガムさんである。国平寺には朝鮮半島出身者の遺骨が保管されている。厚労省は朝鮮半島出身労働者の遺骨調査費として、年間1000万円程度を予算化している。調査は寺などに保管されている遺骨を調べるもので、遺骨の発掘は想定していない。厚労省はこれまで全国で237回の実地調査を行い、1018柱の遺骨を確認している。しかし遺骨の返還は実現していない。その理由を尋ねると「外交上の理由については回答できない」としている。外交では話が進まない中、民間では遺骨の返還が実現している。殿平善彦さんは2015年に朝鮮半島出身労働者の遺骨115人分を韓国に返還した。殿平さんも長生炭鉱に駆けつけ、刻む会の調査を見守っていた。

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2025年9月に刻む会は遺骨が発見されてから初めてとなる国との交渉に臨んだ。刻む会は遺骨収集への財政支援や発見された遺骨の早期DNA鑑定の実施を求めたものの、国側は安全性に懸念があるとして慎重姿勢を崩さず、DNA鑑定の進め方は検討中だとした。

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