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「昭和館」 のテレビ露出情報

山口県屈指の工業都市・宇部市。発展の礎となったのは石炭産業。炭鉱の多くは陸地から掘り始め、海底のさらに下を掘り進める海底炭鉱だった。その1つが長生炭鉱。長生炭鉱の跡地にはピーヤ(排気口)が当時のまま残っている。ピーヤ近くでは長生炭鉱の勉強会が開かれていた。主催は遺骨収集・返還を目指す市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」。共同代表の井上洋子さん。希望者1人からでも勉強会を開いている。長生炭鉱があった場所では海底から47m未満の採掘は法律で禁止されていた。しかし、実際は最深部でも37mしかなく、危険な浅い層で採掘を行っていた。長生炭鉱で働いていた人の「日頃は石炭を掘っていましたが、福岡鉱山監督署から見回りにきた時は、扉を閉じて、仕事をしないよう見せかけていました」との証言が残っている。戦争拡大に伴い石炭の需要は膨大に増えていった。それに伴う労働力不足を補うため、当時、日本の植民地だった朝鮮半島から66万人以上が動員された。朝鮮半島からの労働者の動員方法は募集→官斡旋→徴用と次第に国の関与が高まったが、長生炭鉱は募集の時期に1258人を集めていた。ところが刻む会が建てた追悼碑には“強制連行”と刻まれている。韓国南部の都市・大邱。長生炭鉱で働いた朝鮮半島出身者の多くは現在も韓国南部の人たちだった。韓国遺族会会長のヤン・ヒョンさん。これまで多くの遺族に聞き取りを行ってきた。「当時は飢饉で、本当に食べていくのが大変で、そういう人たちを募集人が狙うんです。「日本に行けば、たくさん食べられて、たくさん稼げる」と。私の叔父も話を聞いている」と話した。ウ・チョルホさんは叔父が長生炭鉱に行った経緯を父親から聞いたという。「面(町・村)が「この人」と選んで連れて行った」と話した。宇部市史には当時は募集という名目の強制連行が行われていたと記載されている。さらに“長生炭鉱は特に坑道が浅く、危険な海底炭鉱として知られ日本人から恐れられたため朝鮮半島出身者が投入されることになった模様”と記されている。井上さんは勉強会の最後に、ある朝鮮半島出身者の手紙を紹介した。太平洋戦争開戦から2か月後の1942年2月3日、その日はいつもより多くの石炭を出すよう現場に指示が出されていた。無理な採掘を続けた結果、沖合およそ1キロの坑道で天井が崩れ海水が流入。構内にいた183人が死亡し、そのうち136人が朝鮮半島出身者だった。炭鉱の運営会社は遺体を放置したまま解散。事故の後に坑道の入口である抗口は埋め立てられ、炭鉱の敷地は荒れ地となっていった。長生炭鉱の存在は自然に人々の記憶から忘れ去られていった。
住所: 東京都千代田区九段南1-6-1
URL: http://www.showakan.go.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年6月5日放送 15:40 - 16:54 テレビ東京
よじごじDaysおやじだけのビルじゃない!ニュー新橋ビルめぐり
「オザワフルーツ」はニュー新橋ビルが建つ前から新橋で76年の営業を続けているという。新橋駅前は全国から物資が集まる闇市としてにぎわっていた。そんな駅前で小沢果実店を開業。木造の店舗が密集して消防活動が困難として区画整理が行われ、その跡地にニュー新橋ビルが建設された。その流れで小沢果実店は1階に入居したという。当初は果物店だったが卸先が徐々に減少したため新たな[…続きを読む]

2026年4月30日放送 19:00 - 21:00 テレビ朝日
THE世代感ランキング(THE世代感ランキング)
時代を変えた衝撃のお菓子ランキング、昭和編第2位は昭和39年発売「かっぱえびせん」。サクサク食感が当時としては斬新。原料は当時不足していたコメではなく大量の輸入が始まっていた小麦。前身「かっぱあられ」は昭和30年発売。「かっぱシリーズ」として全27種類発売され、最もヒットしたのがかっぱえびせん。揚げるのではなく煎って作ることで軽いサクサク食感を実現。

2026年4月28日放送 20:54 - 21:55 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
依頼人の谷口さんは多摩美術大学で学んだ後油絵と陶芸の作家として活動し50年前から自宅で美術教室を開く。お宝は黄金バットの紙芝居36枚。黄金バットは1967年放送開始のアニメで昭和のはじめ紙芝居として誕生。昭和5年頃街頭紙芝居が行われるようになり1枚1枚手書きで貸元が絵師に発注。黄金バットの作画を担当したのが谷口さんの父親である永松健夫。永松健夫は東京高等工芸[…続きを読む]

2026年4月16日放送 19:00 - 21:00 テレビ朝日
林修の今知りたいでしょ!(こんなに変わった!昭和の常識 令和の新常識)
「火災が発生した時は…(?)を優先する」と令和の新常識が出題された。正解は避難。拓殖大学の濱口先生は、昭和と令和では住宅事情が違うと話した。昭和は木造住宅が多かったため延焼のリスクがあったが、気密性が高い現代住宅では爆発的に部屋全体が炎に包まれるフラッシュオーバーの危険性が高い。

2026年3月27日放送 20:00 - 21:48 テレビ朝日
タモリステーション昭和元年から100年 ヒット商品100年史
昭和23年にヒットしたのは足踏みミシン。既製品が不足していた戦後の時代、服は自分たちで作る必要があると購入する人が増えた。女性たちは嫁入り道具として持たされた。また当時戦争から戻ってきた夫の代わりに働く必要のある女性が多くいた。洋裁の仕事は利潤が良かったため、ミシンは女性の生きる術になった。昭和24年はアロハシャツ、昭和25年はブラジャー、昭和26年はミルキ[…続きを読む]

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