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袴田ひで子さん(92)は冤罪で死刑判決を受けた袴田巌さんの姉で、約48年間獄中から無実を叫び続けた巌さんを信じて献身的に支え、共に闘い続けてきた。ひで子さんの1日は日課の体操から始まり、月に3回ほど自ら買い物に行く。現在ひで子さんは弟の巌さんと静岡県・浜松市で一緒に暮らしている。ひで子さんは1933年に現在の浜松市に6人兄弟の5番目として生まれ、末っ子が巌さんだった。ひで子さんは中学卒業後に浜松の就職し、順風満帆な人生を過ごしていた。1966年に当時の静岡県・清水市でみそ会社専務一家が殺されて放火される事件が発生し、住み込みの従業員で元プロボクサーの巌さんが容疑者として逮捕された。巌さんは連日12時間に及ぶ取り調べを受け、自白を強要された。裁判で巌さんは一貫して無実を訴えたものの、事件から1年2ヶ月後に現場近くのみそタンクから発見された血の付いた衣類5点を根拠に一審の静岡地裁は死刑判決を出した。1980年には死刑が確定し、翌年の1981年には巌さんの申立で再審請求が行われることになった。この3年後には長年ひで子さんと一緒に闘うことになる小川秀世弁護士が弁護団に加わり、ひで子さんも70を過ぎても働き続け再審のために闘い続けた。ただ死刑確定後に巌さんは刑執行への恐怖から精神状態が悪化し、コミュニケーションをとるのも難しくなっていった。それでもひで子さんは毎月浜松から東京の拘置所に足を運び、面会を続けた。
2004年、再審請求に東京高裁が決定を出す日。弁護団は「5点の衣類は捏造」と主張したが、東京高裁は「捏造は簡単にできない」との理由で再審請求は退けられた。弁護団は特別抗告を行い、審理は最高裁に移った。2007年、静岡地裁元裁判官・熊本典道さんが声を上げた。一審で巌さんの無罪の心証を主張した。しかし、合議の多数決で敗れ、意に反して死刑判決を書いた。
2008年、第1次再審請求は最高裁で棄却。熊本さんの声は届かなかった。とにかく新証拠を見つけ出すしかない、小川弁護士はそう決意する。精神を病んだ巌さんに代わり、ひで子さんが第2次再審請求を行った。再審開始を勝ち取るには5点の衣類は捏造されたものだと証明するしかない。支援者と弁護団は血染めの衣類を作ってみそ漬け実験を行うことにした。すると長期間みそに浸かった白いシャツやステテコは茶色に変色。血痕は黒くなっていた。小川弁護士も手応えを感じる。2010年、検察が重要証拠の開示を始めた。巌さんの取り調べテープも出てきた。そして5点の衣類の鮮明なカラー写真も。みそ漬け実験の結果とは全く違う色をしていた。
第二次再審請求で静岡地裁は再審開始を認めた。ひで子さんはすぐ東京へ。裁判所は袴田巌さんの釈放を同時に決定した。死刑囚のままの釈放は異例中の異例だった。48年ぶりに釈放された巌さん。ひで子さんが購入した浜松の家で生活を始めた。巌さんは意味不明な言葉ばかりで、日中は家の中を歩き回る。独房でもこうして運動していた。それでも調子が良いときは事件の話もする。1人で外出するようになったのは、釈放から1年が経ったころだった。再審請求は検察の抗告で東京高裁で審議が続いていた。2018年、東京高裁は再審請求を取消した。弁護団は最高裁に特別抗告し、その後審議は東京高裁に差し戻された。
