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オープニング映像。
富山県マスターズ選手権大会が開催し、佐伯は85歳以上女子の部に出場した。2022年5月、佐伯はギネスも認めた世界最高齢の女子クロスカントリースキーヤーとなった。そんな佐伯の人生は、登山・理科の先生・スキーであり、今日と同じ明日はないのだなどと語った。
2023年3月3日、長野・志賀高原にて佐伯は88歳の誕生日を迎え、皆に祝福されていた。佐伯はレースを翌日に控えており、若い選手たちと一緒に練習していた。この日の夜、佐伯は自ら道具のメンテナンスを行いつつ、昔はライバルや勝てない人も居たが、亡くなってしまったため生きている内に勝ちたかったのだなどと明かした。全日本マスターズスキー選手権当日を迎えた佐伯は大会6連覇を賭けて出場し、前年の記録を超えて65歳以上の選手中最速でゴールした。2023年3月31日、佐伯はシーズンが終了し、魚津桃山運動公園で体力作りを開始していた。佐伯は来年も今と同じように桜を見られるとは限らなく88歳とはそういう歳なのだと告げた。
佐伯の若さの秘訣は日々のトレーニングにあり、83歳の頃から専属トレーナーをつけるようになった。佐伯はスクワットも体重と同じ重量を持ち上げられ、週5日トレーニングし、常に昨日の自分を越えようと励んでいる。2023年5月、佐伯は立山・天狗平にてスキーの練習を開始していた。佐伯はもともとはアルペンスキーが専門であったが、生涯スキーを楽しむために60歳からクロスカントリースキーに転向した。佐伯は食事は簡単に用意できながらしっかり食べられる食事がメインで、そうしないとスキーをする体を維持できないのだなどと伝えた。佐伯は21歳で元祖山ガールと称され、24歳で岳友会に入会し剱岳などを登山し、夫と出会った。結婚後は子育てなどで多忙となった佐伯は定年後に夫と二人で世界中の山を旅するようになった。
2023年6月7日、佐伯は富山・朝日町にて20年以上続けている旅する蝶「アサギマダラ」の移動調査を行っていた。観察20日目、佐伯は富山・魚津市で調査を行い、旅する蝶「アサギマダラ」の蛹が蝶になる瞬間を観るのは難しく、皆見逃したと言っているのだと明かした。
観察30日目、佐伯は引き続き旅する蝶「アサギマダラ」の移動調査を行っていた。佐伯は「アサギマダラ」が一晩で蛹になったのだなどと語った。翌日、佐伯は「アサギマダラ」の蛹が蝶になる瞬間を観察することに成功した。佐伯は雄山中学校時代の得意教科は理科であり、当時の女性は中学卒業後には殆どが働くのが普通であったが、佐伯は村で唯一女性で大学へ進学していた。その後佐伯は母校にて理科教諭となり、当時の女性が一人前に働ける場が教師しかなかったのだなどと伝えた。佐伯が魚津市本江小学校の校長時代に薬師岳登山を生徒たちと達成した。山瀬敬教育長も佐伯の教え子であり、山瀬は佐伯が当時から曲がったことは決して許さない姿勢であったなどと明かした。佐伯は教師不足について、誰でもいいわけではなく子どもたちにとって良い教員になれる人に教師になってほしいのだなどと告げた。
2023年8月、佐伯は立山・室堂平にて自然解説員として活動していた。8月5日に魚津市で開催した海上花火大会を夫と楽しんでいた。8月23日、新川文化ホールにて佐伯は講演会に出演し、サプライズでギネスから記録更新の認定証が贈呈された。2023年10月26日、佐伯は病で安静にしていた。4日後、佐伯は体調が良くならず落ち込んでいるのだなどと明かした。11月6日、佐伯は無理がたたって入院したのだと夫が告げた。
2023年11月11日、風邪をこじらせ入院していた佐伯は晴れて退院した。佐伯は入院中も常にこの後どう強くなるのか考え、1月から3月が勝負なため、それまでには遅れを取り戻すのだと宣言した。5日後、佐伯は立山・室堂平にて弟子ともにトレーニングを開始していた。2024年元日、佐伯はスキー中に富山を襲った大地震にみまわれた。佐伯は地震で大規模火災も発生していた石川・輪島市に暮らす友を心配していた。佐伯は目標にしていた大会も災害・暖冬のために中止となり、若い人はいいが自分に来年があるかわからないのだなどと心境を語った。
2024年3月3日、佐伯は89歳の誕生日を迎え、自宅にて仲間たちに祝福されていた。12日、佐伯は長野・志賀高原でクロスカントリースキーのトレーニングを行っていた。4月2日、佐伯は被災した友のところへ向かうためにちょっとでも助けになるものを持っていくのだと買い出しをしていた。被災地に到着した佐伯は友である竹上と再会を果たした。竹上は輪島市の復旧復興は全く進んでいないなどと明かした。佐伯は被災地で自分らしく生きていくのは大変であるものの、竹上が頑張っている姿が見れて良かったなどと語った。
4月10日、魚津桃山運動公園にて佐伯は同世代の女性たちと岳友会の活動を行っていた。佐伯は皆に輪島市で見た現状を言い伝えた。佐伯は昔は高齢になれば子に従えというのが普通であったが、自分は自分を大切にし、今できることで楽しみたいのだなどと説いた。5月10日、佐伯は今日も全力で楽しみながらスキーをしていた。
エンディング映像。