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オープニング映像。
社会人4年目の山本恭一郎ディレクターは母の京子さん、名字が異なる父の信吉氏から誕生日を祝福されたなか、「成功者になれ」と言われたこと、厳しいしつけの理由を尋ねることにした。さらに両親の足跡をたどることに。
恭一郎氏は母である京子さんの帰省に同行した。実家は代々続く葉たばこ農家で、長女の京子さんは家の跡取りでお婿さんを迎え入れるはずだった。そのため、名字は変えないという意識が根底にあったという。父で名字が違う信吉氏は公認会計士で、31歳の時に渡米してMBAを取得し、49歳の時に恭一郎氏が生まれた。幼い頃から「成功者になれ」と言い聞かせ、中学の誕生日に「命、時を大切にせよ」などと記した訓示を与えた。だが、恭一郎氏の琴線には触れず、高校生の時には訓示に反論を書き込んだこともあった。
京子さんは恭一郎氏が3歳の時から剣道を習わせ、小学校へ登校する前、3kmのランニング、なわとび300回を課した。帰宅後、7時にはテレビを消し、筋力トレーニング、勉強漬けの日々だった。恭一郎氏は泣き叫んだこともあったといい、理由を問いただすと、京子さんは返答に窮した。恭一郎氏は今回の取材で、父、金子信吉氏の日課に同行。寝たきりにならないようにと足腰を鍛え、「君に嫌われるようなことはしちゃいけない」と自らを律してきたことを明かした。恭一郎氏は中学2年の頃から東大を志し、「受からなければ死んだほうがいい」と思い詰めたこともあった。そんな時に父からの教訓が与えられ、恭一郎氏は話し合うべきだったと今になって思うという。
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恭一郎氏は両親のことを知らなすぎたのではないかと考え、京子さんに自分の親からされて苦しかったことはなにかを問うた。京子さんは「勉強するな。女に学問は必要ない。家を継げ」と言われたことで、今でも許すことはできないという。その上で、恭一郎氏に過酷なことを課してしまったという。信吉氏は「反省することもたくさんあったし、親子だからまあいいかな」と話し、恭一郎氏は「番組が終わっても家族が続きますので」と記念写真を撮った。
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