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女子バドミントンの奥原希望選手は、2016年のリオ五輪でシングルス日本初となる銅メダルを獲得。2019年には世界ランキング1位にもなったが、東京五輪は準々決勝で敗退。パリ五輪の代表選考レースは1年間で40試合以上の大会でポイントを争い、そのうちの日本人上位2名が出場できる。世界ランキング3位の山口茜はほぼ確実。14位の大堀彩が続き、37位の奥原は日本人4番手。五輪出場へ崖っぷちの状況だった。最低条件はアジア選手権ベスト4。奥原最後の闘いに密着した。
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女子バドミントンの奥原希望選手は、2016年のリオ五輪に21歳で五輪初出場。準々決勝でライバル・山口茜との対決に勝利し、シングルス日本初の銅メダルを獲得した。2017年に日本勢で初めて世界選手権優勝。2019年に世界ランキング1位となったが、2021年4月に疲労骨折、9月に右足首捻挫で手術。2022年もケガが続き、2023年3月に左ふくらはぎ肉離れ。2023年5月に奥原の密着取材をスタート。治療とリハビリの毎日だった。取材開始から1週間後、肉離れが再発。診断結果は全治8週間だった。奥原を10年以上指導する佐藤翔治コーチは、奥原は身体が小さく(156cm)粘らなければ勝てないので、負担が大きく、ケガに繋がりやすいと語った。奥原は1か月後の大会に出場するつもりだった。出場するだけで獲得できるポイントがあるためだという。ケガをおして出場した6月のインドネシアオープンは初戦敗退だった。その後も本来のプレーはできず、代表争いで大きく出遅れた。12月の全日本総合選手権は3回戦を突破。準決勝で五輪出場を争う大堀彩に2-1で勝利。2年ぶりの決勝では第1ゲームを先取したが、第2ゲームの途中で足に痛みが。最終ゲームを前に棄権した。右太ももの肉離れだった。パリ五輪出場は絶望的になったと思われたが、1週間後の奥原はリハビリに励んでいた。奥原が諦めない理由は3年前の「東京五輪」。コロナ禍で異例の無観客開催。気持ちが整わず、もがき苦しむ奥原の支えとなったのが、ブログに寄せられるファンの声だった。応援してくれるファンや支えてくれる人たちのためにパリ五輪出場を諦めなかった。ことし4月のアジア選手権はベスト4が最低条件だったが、初戦の相手は世界ランキング1位のアン・セヨン(韓国)。第1ゲームを落としたが、第2ゲームは取り返した。第3ゲームは取られ、初戦敗退。パリ五輪出場は叶わなかった。
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アジア選手権から1か月後、奥原が胸中を明かしてくれた。最初は悔しい気持ちがあったが、やりきったなっていう思い。全部やりきったので代表になった人たちも応援できるなどと語った。もう一度できるところまで挑戦できたらと語り現役続行の意志を示した。
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