- 出演者
- 今田耕司 近藤春菜(ハリセンボン)
近藤春菜は、何もなかったらどうしようという気持ちでドキドキすると話した。
近藤春菜は東京都狛江市出身。地元の観光大使を務める。父・敏文さんも近藤家のルーツについてほとんど知らないという。自宅から祖父・敏明が40年ほど前に書いた自叙伝が見つかった。4代前の高祖父・長五郎に関する記述もある。長五郎の料理屋があったのは、神奈川県秦野市。曽祖母のキミが店を手伝っていた。キミは客の大津春吉と親しくなる。共に跡取りのため両家とも結婚に大反対で、2人は駆け落ち同然に秦野で商人宿を始めた。子供は9人いたが、生涯籍を入れることはなかった。その三男が祖父の敏明だ。成績優秀で中学進学を望んだが、経済的理由で断念。昭和18年、敏明は陸軍少年飛行兵に志願して合格した。大津陸軍少年飛行兵学校を経て、所沢陸軍航空整備学校へ。整備兵の道を歩んだ。昭和20年、印旛飛行場で陸軍飛行第23戦隊に配属。印旛飛行場は米軍の標的になり、同期は戦死したという。ほどなくして終戦。敏明は、人生の目標を失ったような複雑な気持ちだったと綴っている。
近藤春菜は祖父の若い頃のエピソードを知って、いきなり泣いてますと話した。
終戦後、敏明は秦野に戻り、18歳で現在の小田急電鉄に入社。数年後、喜多見駅の駅員として働いていたとき、定期券を買いに来た曽我文代と出会った。後に妻となった祖母・文代さんは、敏明さんとの出会いを今も鮮明に覚えている。昭和27年に結婚。2年後に父・敏文が誕生した。敏明は昇進して経験を重ねる一方、家庭では子供との時間を大切にしたという。昭和40年、敏明は助役に昇進。その仕事ぶりから「憲兵」というあだ名がついた。昭和48年、敏明は小田急新宿駅の助役を務める。構内アナウンスの技術が見事だったという。翌年、45歳の若さで長後駅の駅長に昇進。当時の資料が小田急電鉄に残っていた。父・敏文は昭和52年、警視庁に入庁。武蔵野警察署に配属され、交番勤務になった。2年後、おばの紹介で菊原律子と出会い、後に結婚。敏明は披露宴で感激のあまり声が詰まり、涙声での挨拶になったと綴っている。
近藤春菜は、祖父がファミリーヒストリーに出ると分かっていて自叙伝を書き残したんじゃないかと話した。
母・律子さんは長野県南相木村の出身。実家は標高1100m以上の栗生地区にある。江戸時代に建てられた母屋の隣に土蔵もある。昨年亡くなった祖父が村史編纂の際に役場に提供した古文書が見つかった。菊原家は栗生地区で中心的な村役を務めていたという。5代前の先祖・林十郎、4代前の高祖父・永一郎に関する資料も残されていた。曽祖父・友愛は村の教育委員長を務めた。律子は昭和33年に誕生。昭和36年、監督・大島渚、原作・大江健三郎、主演・三國連太郎の映画「飼育」で、菊原家の母屋が撮影に使われた。律子は南相木小学校栗生分校に入学。南佐久実業高等学校を卒業後、昭和51年、就職のため上京した。
昭和58年に春菜が誕生。3年後、敏文は刑事になり、平成3年に警視庁捜査2課に異動。大きな詐欺事件の担当となり、被疑者から自供を引き出した。元上司は敏文について、見た目はやわらかいが根性があって正義感が強い男だと話した。
近藤春菜の幼少期の映像を紹介。父・敏文は春菜の成長記録を撮り続けた。小さい頃の春菜は、おとなしくて引っ込み思案だったという。幼なじみの石田芽衣子さんが小学校時代のエピソードを話した。
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- 近藤敏明
近藤春菜は、子供の頃は今と真逆で人見知りでおとなしかったと話した。
内気で人見知りだった春菜はガールスカウトに入り、人前に出ることに慣れたという。父・敏文は知能犯罪を扱う捜査2課のムードメーカーだった。春菜も中学生になると、父譲りのユニークな面が際立ってくる。ガールスカウト時代の友人や、中学3年のときの担任に当時の話を聞いた。春菜はお笑い芸人に憧れるが、覚悟を持てぬまま短大に進学。テレビなどでよく使われる成人式の写真を紹介。短大卒業前に、春菜は泣きながら両親に芸人への思いを語った。敏文さんは、やりたいことをやって、ダメならいつでも帰ってこいみたいな気持ちだったと話した。平成15年、春菜は養成所に入り、箕輪はるかとハリセンボンを結成。祖父・敏明も、その活躍をよく知り合いに話していた。敏文さんは、春菜の結婚式で角野卓造が父親役を演じたCMに複雑な思いがあったと話した。
今田は、両親の痛いほどの思いが伝わってきたと話した。近藤春菜は、両親がよくお笑い芸人の道を許してくれたなと思ったと話した。
平成19年、敏文さんは選挙違反の取り締まりを担当。NHKのニュースにその姿が映っていた。平成22年、近藤家にオレオレ詐欺の電話がかかってきた。祖父・敏明さんが騙されたふりをして犯人と待ち合わせ、近くで張り込んでいた捜査員が犯人を逮捕。その逮捕劇は新聞にも取り上げられた。敏文さんの同僚からの依頼で、春菜は立川警察署の一日警察署長を務めた。平成26年には八王子警察署の一日署長も務めた。敏文さんはそのとき一緒に撮った写真を紹介し、誇らしかったと話した。
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