終戦後、敏明は秦野に戻り、18歳で現在の小田急電鉄に入社。数年後、喜多見駅の駅員として働いていたとき、定期券を買いに来た曽我文代と出会った。後に妻となった祖母・文代さんは、敏明さんとの出会いを今も鮮明に覚えている。昭和27年に結婚。2年後に父・敏文が誕生した。敏明は昇進して経験を重ねる一方、家庭では子供との時間を大切にしたという。昭和40年、敏明は助役に昇進。その仕事ぶりから「憲兵」というあだ名がついた。昭和48年、敏明は小田急新宿駅の助役を務める。構内アナウンスの技術が見事だったという。翌年、45歳の若さで長後駅の駅長に昇進。当時の資料が小田急電鉄に残っていた。父・敏文は昭和52年、警視庁に入庁。武蔵野警察署に配属され、交番勤務になった。2年後、おばの紹介で菊原律子と出会い、後に結婚。敏明は披露宴で感激のあまり声が詰まり、涙声での挨拶になったと綴っている。
住所: 東京都新宿区西新宿1-1-3
URL: http://www.odakyu.jp/station/shinjuku/
URL: http://www.odakyu.jp/station/shinjuku/