- 出演者
- 今田耕司 千葉美乃梨 長谷川雅紀(錦鯉)
ゲストは錦鯉の長谷川雅紀。25年以上の下積みを経て、50歳のときに漫才師日本一を決める大会で優勝。
オープニング映像。
新潟・新発田市に長谷川の遠縁がいて、番組の取材に協力してくれた。家系図を紐解くと、先祖は庄屋だった。江戸時代後期、市内の須賀神社に長谷川義長が石灯籠を寄進している。義長は藩から認められ、藩主と単独での面会が許可されていた。だが、明治時代、長谷川家は苦境に立たされる。
日清戦争に勝利し、日本は多額の賠償金を獲得。当時、ヤブコウジの変異株を収集するのがブームだったといい、一株2000万円以上の値がついた。だが、ヤブコウジは増やせるため、価値が暴落。投機していた長谷川傳次郎は大損してしまう。
長谷川傳次郎は家族とともに新潟から北海道へ渡った。息子の1人、健造は商売を学び、25歳の時に自らの店をオープン。海産物の加工品は土産物として好まれ、人でごった返したという。
昭和12年、健造の長男である延夫は節子と結婚。翌年、男児を授かる。純一はすくすくと育ち、北海道中のエリートが集うとされる札幌南高校に合格。
純一の母方の祖母は弁護士をしていた。この小林盛次は大学で法律を学んだのではなく、独学で弁護士になったといい、正義感に溢れていた。純一は東京の大学法学部を目指すも、結核を発症。
長谷川純一は結核で長期療養を余儀なくされ、弁護士試験に挑むも不合格。長谷川雅紀は若かりし頃の父の写真を始めて見たという。
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長谷川の母、幸子さんは「親と暮らしたのは7年ぐらい。よく分からない」などと話す。
長谷川雅則の祖父、金雄は20歳のときに海軍に徴収された。対空砲の操作で優秀な成績を収めたとされる。だが、昭和18年6月8日、金雄が配属された陸奥は原因不明の大爆発を起こし、1100人の乗員が死亡。金雄は臨時講習を受けることになっていたため、直前に下船していたので難を逃れた。終戦の翌年、金雄は坂本リツと結婚。
工藤金雄、リツとの間に幸子さん、誠一が誕生。だが、リツは24歳で死去。乳飲み子だった誠一も亡くなる。幸子さんは親戚の家を転々とし、嫌われないように努めたという。18歳になると、札幌へ向かった。土産物店で働こうと応募し、長谷川純一と邂逅。長谷川雅紀は下積み時代、母にお金を貸してほしいと電話していたと振り返った。
結核により、夢だった弁護士になれなかった長谷川純一は実家の土産物店で働くなか、工藤幸子さんが店員として働き始める。昭和44年、2人が結婚。
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純一、幸子さんは長女の貴子、長男の雅紀、次男の浩之を授かる。幸子さんによると、長女は我が儘、弟は甘えん坊に対し、雅紀は靴の底があいても、新品をねだらなかったという。
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長谷川純一には商売において先見の明があり、妻の幸子さんは「本当に頭のいい人」と回想した。一方、商品を大量に仕入れて損を出したこともあった。新事業の設立、先物取引に大金を投じて失敗し、土産物店を手放すほかなかった。純一はどんな仕事も長続きせず、子どもに対する関心すらも無くしていく。ギャンブルにハマり、消費者金融で借金を重ねた。幸子さんは離婚を決意。
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20歳となった長谷川雅紀は芝居を経験し、芸人を志すようになった。30歳で上京するも、全く売れなかったという。
平成23年、長谷川雅紀は芸人の帰省に密着する番組に出演。我が儘な息子であることを詫びつつ、「毎週、息子をテレビでみているよ」と言われるように頑張ると幸子さんに宣言した。
長谷川が41歳のとき、のちの相方となる渡辺隆と出会った。渡辺は「明るく、楽しく、元気よく」、「ありのままでいい」と長谷川に伝えたという。令和3年、錦鯉は漫才師日本一に輝いた。長谷川はコンビ結成後、芸人を辞めようと思ったことは一度もないという。また、裕福とは言えなかった子どもの頃を振り返り、母の苦労を間近で見ていたため、靴の底があいても新品をねだることはできなかったかもしれないという。
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幸子さんは居酒屋を営むなか、5歳の女の子が雅紀に宛てたラブレターをもらったという。
離婚後、長谷川純一は八王子の産廃業者に就職し、住み込みで働いていた。稼ぎは幸子さんに送り続けた。札幌に帰った後、病に伏せる。長谷川雅紀が病室を尋ねると、「いい加減、就職したどうだ?」と言われたという。令和2年10月、82歳で死去。カレンダーには錦鯉が出演する番組の日付をマークしていたという。翌年、錦鯉は漫才師日本一に輝く。
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