- 出演者
- タモリ 野口葵衣
タモリらは愛媛・宇和島を訪れた。きょうのテーマは「”ギザギザ”は宇和島に何をもたらした?」。宇和島はリアス海岸が発達してギザギザした地形をしている。
オープニング映像。
- キーワード
- 宇和島(愛媛)
タモリらは愛媛・宇和島で「”ギザギザ”は宇和島に何をもたらした?」に迫った。宇和島は流れ込む大きな川がなく谷が土砂で埋まらない。そのため、海岸線がギザギザしたままになっている。
タモリらは愛媛・宇和島で「”ギザギザ”は宇和島に何をもたらした?」に迫った。宇和島城はもともと海を水運や防御に活用した海城だった。宇和島城があったのは数少ない平地がある貴重な場所だったとみられている。宇和島城を建てた藤堂高虎は川の付け替えを行い、狭い平地を最大限に活用する工夫をしていた。
タモリらは愛媛・宇和島で「”ギザギザ”は宇和島に何をもたらした?」に迫った。藤堂高虎が宇和島にいたのはたった6年。高虎の後、宇和島を治めたのは伊達政宗の長男・秀宗だった。平地の少ない宇和島で初代宇和島藩主となった秀宗は跡継ぎ以外の子どもにも領地を分け与えた。そのことが宇和島藩にピンチを招く。大きな川の近くを吉田藩に奪われ、大きな米どころがなくなってしまった宇和島藩。しかし、2代目の宗利がこのピンチをうまく乗り越えて宇和島を発展させていく。
タモリらは愛媛・宇和島で「”ギザギザ”は宇和島に何をもたらした?」に迫った。タモリらが船に乗ること20分、山の斜面に段々畑が広がる島が見えてきた。この段々畑で作られているのはサツマイモ。米がとれない宇和島では水がなくても育つ作物を作るしかなかったためである。2代目・宗利は、通常、畑の作物に税がかけられるところを無税に。一方、海でとれる魚に関しては税を徴収した。こうした政策により、宇和島藩はピンチを脱していったという。次第に、ギザギザな地形を活かした海では養殖が行われるようになり、昭和30年代に水道が整備されると段々畑は柑橘類を育む場所へと生まれ変わった。
タモリらは愛媛・宇和島で「”ギザギザ”は宇和島に何をもたらした?」に迫った。ギザギザな地形を活かして宇和島では闘牛が行われていた。農耕用の牛を戦わせていたのが始まりで、江戸時代終わりから盛んに行われていた。最盛期の昭和初めにはギザギザな地形を活かした闘牛場が100以上も造られたという。現在では、年4回、宇和島闘牛が行われている。
エンディング映像。
次回予告が流れた。