- 出演者
- タモリ 野口葵衣
タモリらは鎌倉にある建長寺を訪れた。建長寺は北条時頼が造った寺。きょうのテーマは「北条氏の寺でわかる!鎌倉幕府の偉業とは」。
鎌倉幕府執権 北条時頼の寺・建長寺を訪れているタモリら。仏殿では時頼の命日の法要が行われていた。法要時、僧侶はみな中国風の靴を履いていた。建長寺には中国直輸入の文化がたくさんある。仏像、椅子、初代住職は中国からのもの。
諸説あるが、けんちん汁は建長寺発祥の精進料理といわれている。けんちん汁を作るときのある調理法が中国から取り入れたもの。日本で初めて建長寺に伝わったといわれている。それは油で炒める調理法。北条氏が中国文化を取り入れた理由は、舶来品(いわゆる唐物)を持っていることが当時は何よりも権力の象徴とされていたため。
建長寺は中国の寺を完コピしたもの。中国の寺の庭は伽藍(建物)の前に造られることが多い。しかし、建長寺は寺の後ろに庭が造られた。それは鎌倉の地形が関係している。京都を代表する天龍寺の禅僧・作庭家の夢窓疎石は建長寺で修行。寺の後ろに庭があるという庭園の形式が夢窓疎石などを通じて京都の寺にも受け継がれているという。
タモリらは極楽寺を訪れた。極楽寺も鎌倉時代に建立された寺。北条重時が建てた。奥の院には、鎌倉時代に活躍した僧侶・忍性が眠るお墓がある。忍性は奈良から石工集団を連れてきた。鎌倉幕府は国の公共事業やインフラ整備を忍性に一任。190か所に橋を架け、70か所の道の整備を行ったといわれている。北条氏が造った極楽寺は鎌倉幕府の国づくりを支えた。極楽寺は奈良の興福寺と同じ伽藍配置。広い範囲で見ていくと、極楽寺には室生寺・東寺・興福寺・熊野那智大社・熊野本宮大社・熊野速玉大社を表す場所があった。極楽寺に関西の寺社を集めたのは、鎌倉幕府の日本古来の大切な寺社や霊場を守ろうという意思があったのではないかとみられている。
タモリらは横浜市金沢区を訪れた。中国からの輸入品を乗せた船も多く来航したとされる港を守っていたのが金沢北条氏一族。金沢北条氏一族もこの地に寺を造った。寺の先にあるトンネルを越えると金沢文庫が現れた。金沢文庫とは鎌倉時代に金沢北条氏が造ったプライベートライブラリー。鎌倉幕府滅亡後、称名寺は金沢文庫の書物を守ってきた。今や世界的価値を持つ金沢文庫。鎌倉幕府を率いた北条氏が果たした偉業だ。
エンディング映像。
次回予告が流れた。