- 出演者
- タモリ 野口葵衣
タモリらは鎌倉を訪れた。きょうのテーマは「頼朝は武士の都・鎌倉をどうつくった?」。源頼朝は鎌倉を中心に日本初の本格的な武士の都を築いた。武士でこれだけ大きな町をつくったのは頼朝が初めてだといわれている。
タモリらは「吾妻鏡」を手がかりに頼朝の町づくりの第一歩を探った。「吾妻鏡」には、1180年10月6日、頼朝が相模の国へ到着しましたといった内容が書かれていた。その6日後の10月12日には、祖先を祭るために小林郷の北山に場所を定めて社殿を造って鶴岡宮をここへ遷されましたといった内容が書かれていた。つまり、頼朝が鎌倉に着いて6日後にただの山だった場所に鶴岡八幡宮を移したということが書かれている。
タモリらは頼朝の町づくりの原点ともいえるもともとの八幡宮の場所を探した。もともと八幡宮があった場所には小さな社があり今も大切にされている。実は、この神社と頼朝には深い関係がある。頼朝の祖先・源義家がこの神社を修理した記録などが残っており、源氏ゆかりの土地として縁があった。先祖代々の神社を町の中心にすることが頼朝の町づくりの第一歩だったのである。
タモリらは町づくりの要となった若宮大路を探った。鶴岡八幡宮の参詣道は一段高くなっている。その段葛から左右の土地を見てみると若宮大路より少し高くなっていることが分かる。鎌倉は谷が多い地形。水はけが悪い谷筋でも歩きやすくするために段葛を設けたといわれている。この段葛のことが「吾妻鏡」にも出てくる。頼朝は道を高くするだけでなく排水溝も造って徹底的に湿地対策をしていた。
タモリらは鶴岡八幡宮の東側 頼朝の幕府があったとされる大倉へ向かった。しかし、実際に大倉のどこにあったのかは分かっていないという。手がかりを探しながら場所の特定に挑戦した。
タモリらは頼朝による武士の都の総仕上げとされる寺を訪れた。頼朝が建てたとされる永福寺。見た目は平等院鳳凰堂のよう。現在は発掘調査をもとに復元されている。永福寺は極楽浄土の世界観が表現されている。
エンディング映像。
次回予告が流れた。