タモリらは「吾妻鏡」を手がかりに頼朝の町づくりの第一歩を探った。「吾妻鏡」には、1180年10月6日、頼朝が相模の国へ到着しましたといった内容が書かれていた。その6日後の10月12日には、祖先を祭るために小林郷の北山に場所を定めて社殿を造って鶴岡宮をここへ遷されましたといった内容が書かれていた。つまり、頼朝が鎌倉に着いて6日後にただの山だった場所に鶴岡八幡宮を移したということが書かれている。
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