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中学校の教科書にも登場する世界一の清掃員、新津春子さんに密着する。羽田空港は清潔な空港として4年連続で世界一を誇るなか、新津さんは新たな挑戦を始めていた。
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朝6時半過ぎ、清掃員の新津春子さんは空港の事務所に到着し、鉄アレイで腕と腹筋を重点的に鍛えていった。気になっていたのはロビーに設置された冷水機で、油汚れが目立っていた。新津さんは弱アルカリ性の洗剤を染み込ませたスポンジを撫でるようにして油汚れを取り除き、酸性洗剤でこびり付いたミネラル分を落としていった。ステンレスを傷めないようにこまめに水をかけるなど、細心の注意を払っていた。人目のつかない汚れにも目を光らせる新津さんは清掃業を職人の仕事と自負している。
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次の作業は手を乾かす乾燥機で、開発に携わったブラシで排水口を丁寧にこすっていた。目に見えないところにまで気を配るのが新津さんの真骨頂で、人が往来する度に舞う埃がアレルギーの原因になるなど、利用客のことを考えてちょっとした汚れも軽視しない。新津さんは「優しい気持ち、心を込めないと綺麗にできない。心を込めればいろんなことも思いつく」、「丁寧にやっていけば、お客様も注意して、ゴミを捨てにくくなったりとか、出てくるんですよね」と語った。
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新津春子さんに、家庭でできる清掃術を教わる。小林晴美さんの悩みはお風呂場のタイル地、足元に繁殖してしまった黒カビはお酢で撃退。水とお酢を3:1の割合で混ぜ、吹きかけたらブラシでこする。さらにティッシュを敷いて上から染み込ませて根気強く黒ずみを除去。続いて塚田啓子さんの悩みはキッチンの換気扇。内側が油汚れでベタつき、吸い込みが悪くなるだけでなく、火災の原因にもなる。羽根の部分を取り外したら、お湯とアルカリ洗剤を混ぜた液に浸ける。温度は70℃くらい、細かい汚れは割り箸を使ってピカピカにする。
新津春子さんは昼食を同僚と食していて、体調を崩して現場を離れていたがカムバックした仲間を気遣っていた。清掃業を17歳から続けてきた新津さんは中国・瀋陽で生まれた。日本人残留孤児の父親、中国人の母を持つ。小学生の頃から日本人というだけでさまざまないじめを受け、来日しても心休まる場所ではなかった。編入先の高校でも中傷されたという。両親もすぐに定職につけず生活は苦しくなり、高校生だった新津さんは清掃員のアルバイトで生活費を稼いだ。新津さんは「清掃業は中国で社会的に低く、日本でも一緒」と回想した。
23歳の時、新津さんは羽田空港の清掃員として働き始めた。そこで運命を変える上司・鈴木優さんと出会う。新津さんは業界のエキスパートと称された鈴木さんの熱血指導を受け、清掃という仕事に面白さを感じ始める。そして、「自分にはこの仕事しかない、ならば極めてみよう」と考えた。がむしゃらに学び続けて3年が過ぎ、97年に行われた全国ビルクリーニング技能競技会の予選会で2位となった。1位ではなかったことを訝しむ新津さんに対して、鈴木さんは「心に余裕が無いと、いい掃除ができませんよ」と指摘。技術だけでなくその場の人に気を配る姿勢が大切だと痛感した新津さんは特訓を重ね、技能選手権の全国大会で日本一に輝いた。報告を受けた鈴木さんは「優勝するのは分かってました」と話し、新津さんは初めて認められたと誇らしかったという。そして、熱心に仕事をしていると、利用者から労いの声をかけられるようになった。
東京国際空港の閉館後、新津春子さんは天井の清掃を行っていた。月に2度担当する夜間清掃では利用客がいる日中には掃除しにくい場所を清掃する。空港の中でもトイレは汚れやすい場所で、清掃員にとって最大の難所。利用者が滑らないように細かな凹凸が床に施されていたが、その隙間に汚れがこびりついていた。新津さんは極細の毛がついたパットを取り出し、機械に取り付け床を磨くと、本来の色を取り戻した。さらに洗剤や道具を変えながら、午前4時過ぎ、壁に付着した原因不明の汚れを落とし切ることに成功。
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朝日が眩しい午前6時半、夜勤を終えた新津春子さんは最後に空港を一周りし、ゴミを拾って歩いた。そして、新津さんの1日はこうして今日も過ぎていく。
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新津さんに「プロフェッショナルとは?」と質問。「目標を持って日々努力し、どんな仕事でも心を込めて出来る人」と語った。
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