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池澤あやかは寝ながらパソコンで作業できるデスク、藤原麻里菜は殴ることで画面上に謝罪文が表示されるパンチングマシーンを開発していた。日本では雑事をいっぺんに済ませるため、多くの機能を盛り込んだ家電が生み出されてきた。
1960年代、ルームエアコンの普及率はわずか2%。受験生は厚着し、こたつで身を丸くしながら寒さを乗り切っていた。そこで、履くこたつとも呼ばれた「ガンバリルック」が登場。下半身を温め、学習机で勉強に打ち込めた。1971年、ブレスレットにもなる携帯ラジオ「パナペット クルン」が発売。大阪万博の影響もあり、未来的なデザインが好評を博した。79年、電卓にそろばん機能がついた「ソロカル」が発売された。そろばんで足し算や検算、電卓で掛け算をするのが一般的だった。東芝未来科学館には日本の発明家たちが生み出してきた作品が多く展示されている。そのなかの1つ、「スナック3」はトースト、ホットミルク、目玉焼きをいっぺんに調理することができた。だが、用途が限られているのに割高だと約2年で生産は終了した。科学館は5年前に入手したといい、今回、久方ぶりに稼働。開発した企業の技術者たちはニーズを追いかけるのではなく、新たなライフスタイルを提案しようという意気込みを感じたという。
西村幸祐氏(77)はラジオ、テレビ、カセットデッキ、コンピューターが一体となった「ラテカピュータ」を開発した。同年、パソコン「PC-8001」が発売されたが、装置それぞれに電源が必要だった。「ラテカピュータ」のカセットデッキはプログラム入りのカセットを読み込ませ、コンピューターで使うためのデッキだった。世界初のノートパソコンが誕生するのは89年だが、「ラテカピュータ」はその10年前に持ち運べるパソコンとして誕生。ちなみに重さ8.5kgで、価格は24万8000円。販売台数はわずか200台だった。西村氏は「とことん馬鹿にされる、その方が私はバネにできる。バカにされることバンザイ」と語った。
池澤あやかは無駄と思えるモノをきっかけになにかが生まれることもあると語った。
藤原麻里菜、池澤あやかは「面倒なことをいっぺんに解決」をテーマにした発明に挑戦した。
池澤あやかは咀嚼することでWebページがスクロールされる発明を発表。咀嚼の際、鼻と口の距離の変化をシステムが認識することで、ネットサーフィンができる。続いて、藤原麻里菜は名刺をスキャンしてデータ化したあと、シュレッダーにかけるマシーンを紹介。名刺をデータで管理しつつ、不要な人脈を破壊できるという。
エンディング映像。
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