- 出演者
- 土屋礼央 吉岡真央 田口壮
オープニング映像。
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- 田口壮
2025年シーズンのMLBで、大谷翔平、山本由伸、佐々木朗希擁するドジャースが25年ぶりとなるワールドシリーズ連覇を達成した。そんなメジャーリーグで、20年前ワールドシリーズ制覇に貢献したレジェンドが田口壮。田口のメジャー通算得点圏打率は.331とイチローや松井秀喜、大谷翔平を超えて日本人メジャーリーガートップ。満塁時の通算打率に至っては.512と、その勝負強さで2006年にチームをワールドシリーズに導いた。当時のプレーを目撃した人々に話を聞き、田口のメジャー人生に迫る。
1991年にドラフト1位でオリックスに入団した田口は、万能外野手として頭角を現しスター選手になった。2002年に32歳でメジャーに挑戦し、カージナルスと3年契約を結んだ。当時カージナルス傘下の3Aスタッフとして田口に出会った長谷川嘉宣さんは、3年300万ドルというオファーは先発レフトの金額だったと話した。前年に鮮烈デビューを果たしていたイチローの影響で、日本人野手への期待は高まっていた。しかし2002年の春キャンプで田口は快音を響かせることができず、オープン戦の打率は.146だった。元チームメートのスタッビー・クラップは、力強いスイングができていなくてしっかりボールを捉えることができていなかったと話した。長谷川滋利は、ちょっとだけ動くムービングファストボールには日本の選手みんな苦労していたと話した。田口が開幕を迎えたのは、マイナー3Aのメンフィス・レッドバーズだった。元チームメートのケビン・ジョセフは、メンフィスに来たばかりの頃は言葉の違いや野球スタイルの違いに戸惑いを感じているようだったと話した。元実況アナのスティーブ・セルビーは、最初は打球が飛んでいなかった、調整が必要だと思ったと話した。打撃とともにマイナーの遠征も田口を苦しめた。
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メジャー1年目の6月に突然メジャー昇格を告げられたが、メジャー4試合でノーヒットに終わり再びマイナー降格となった。8月にはさらに下の2Aも降格となった。エージェントだった長谷川さんは、選手が辞めたいと言ったらチームはお金を払わなくていいので「もう日本に帰らせてくれ」と言わせたくて2Aに落としたと聞いたと話した。2Aは日本で言う3軍で、給料が少なすぎてアルバイトをする選手もいる。妻・恵美子さんは、探したアパートがチューチュー出てくる穴があった、がっかりはしていたが上がっていくだけと淡々としていたと話した。田口はバッティングフォームを変え、2Aで14試合連続ヒットを記録するなど打率は.308に上がった。キャンプ地から帰るチャーター機に乗る26人に選ばれた田口だったが開幕戦の5時間前に1人だけメンバーから外され、再びメンフィスに戻ることになった。田口はスーパーサブに自らの生きる意味を見出し、2004年に開幕メジャーの座を掴み取った。
岩村明憲は取材に対し、田口さんは自分の居場所をつくるために必死になってやっていたと話した。田口は、アメリカでプレーした経験のある選手から球団としてはセントルイスが一番いいと言われた、アメリカで野球をするならジョー・トーリ監督・ルー・ピネラ監督・トニー・ラルーサ監督の3人のもとで野球をするべきと言われた、マイナー行きを宣告される1週間前から僕に対する雰囲気が変わってきた、マイナーでは朝4時起き、3時起きはザラ、メンフィスは危なくてアパートから集合場所までの200m歩くのも怖かった、2では監督に全試合1番で使うのでチームを勝たせろと言われた、1人だけ開幕メンバーから外された頃からコントロールできないものは諦めようと考え方がいい方向に行った、自分がアウトになっても右打ちをしてランナーを三塁に進めてチャンスを広げて点をとるスタイルが少しずつチームに浸透していった、マイナー生活でメンタルは大きく変わった、いい方向へ物事を考えていくための時間だったと話した。
田口は渡米3年目で開幕メジャーの座を掴んだ。当時のカージナルスは強打者揃いで、外野の守備はエドモンズを中心に盤石の体制を築いていた。その中で田口はスタメンではなく、あくまで4番手の外野手だった。田口は、監督の頭の中を理解して自分の準備をするため常に監督の横に座ってベンチコーチとの会話を盗み聞きしていたと話した。外野守備コーチだったホセ・オケンドーは、田口は内野手が必要になった時のために練習後に内野ゴロの練習をしていたと話した。アルバート・プーホールズは、どんな場面で何をすべきか田口はわかっていたと話した。田口はスモールベースボールを信条とするラルーサのチームで欠かせない存在としての信頼を勝ち取っていった。2004年には109試合に出場し、うち途中出場73回とスーパーサブとしてのポジションを確実なものにしていった。トニー・ラルーサ元監督は、プレッシャーがかかる場面で田口は必ず期待に応えると話した。田口のメジャー通算得点圏打率は.331とイチローや松井秀喜、大谷翔平を超えて日本人メジャーリーガートップ。満塁時の通算打率は.512で、この勝負強さが田口の武器だった。
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- アルバート・プホルスイチローゴールドグラブ賞ジム・エドモンズジョーダン・ウォーカースコット・ローレンセントルイス・カージナルストニー・ラルーサヤディアー・モリーナレジー・サンダースワールドシリーズ大谷翔平松井秀喜田口壮
2004年にカージナルスは地区優勝を果たしてプレーオフに進出したが、4連敗でワールドシリーズ敗退となった。その悔しさがバネとなり、2005年は打席数を大幅に増やしてチームの主力に成長。2006年に3年連続でプレーオフに進出したカージナルスは、ナ・リーグ優勝決定シリーズでメッツと対戦。第1戦を落としての第2戦で、田口は同点で迎えた9回に勝ち越しホームランを打った。チームメイトだったヤディアー・モリーナは、ダグアウトのみんなが彼の活躍を喜んでいたと話した。カージナルスが2勝1敗で世界一に王手をかけたワールドシリーズ第4戦、1点ビハインドで迎えた7回の同点チャンスに2番のダンカンと代えて出場した田口のバントが相手の悪送球を引き出し同点に追いついた。勢いがついたチームはこの試合を制し、続く第5戦で世界一を成し遂げた。田口はその後フィリーズに移籍し、ここでも日本人初となる2度のワールドシリーズ制覇に貢献した。
田口は、ラルーサ監督の采配にはすべて理由があった、この世界で生きていくためにどうするか考えたら勝負強くないといけないと思った、そこから投手の心理をどう読み解くかや精神的にどう優位に立つかを考え始めた、相手を研究していないとダメ、8月中頃に監督にプレーオフに入ったらバントするから練習しておいてくれと言われた、そこからコーチと毎日2人でバントの練習をしていた、勝つために色んな役割があると思ったと話した。
エンディング映像。
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