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万博の歴史を紹介。最初の万国博覧会は、1851年、イギリス・ロンドンで開催された。アジアで初めて開催されたのは、1970年の大阪万博。万国博覧会開催から約160年で22カ国・70回以上開催されてきた。
万国博覧会の会場図はただの案内図にあらず。会場図の歴史に注目すると世界のリアルな事情が見える。1900年のパリ万博は川を挟んで西洋諸国エリアと西洋の植民地とされた国々のエリアで分かれていた。冷戦の最中に開催された1967年のモントリオール万博では川の中にある2つの中洲が会場となったが、片方の中洲にはアメリカ館、もう片方にはソ連館が配置された。2005年の愛知万博時には国際紛争がより複雑化。事務総長として現場を統括していた中村さんは紛争中の国々の配置に頭を悩ませたという。今回の大阪・関西万博はランダムな国の配置がなされている。イデオロギーや宗教など、分断をもたらす線引きが排除されている。
1967年のモントリオール万博で日本は大きなしくじりをした。当時、日本は高度経済成長を経て技術力を世界にアピールしようとしていた。ところが、日本館の展示は商品をそのまま並べたものが多く、見本市のようだといった声が。さらに、輸出拡大を狙ってパビリオンの外にもモーターショーのように自動車を展示。万博の商業利用と批判が相次ぎ、3年後に開催される大阪万博へのボイコットを表明する国が相次ぐ事態となった。
博覧会マニアの二神さんが万博トリビアを紹介。1970年の大阪万博をきっかけに広く知られるようになったものには「フランスパン」「プレーンヨーグルト」「LAN」がある。その他、「エレベーター」「電話」「観覧車」なども万博を機に広まったものとされている。
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万国博覧会は世界中の人と人が出会う特殊な空間。1867年のパリ万博。多くの西洋人がここで初めて生きた日本人と出会った。江戸幕府の展示スペースに造られたのは芸者茶屋。着物姿の芸者がお茶を出す体験型展示は大好評。後の日本ブームのきっかけになったといわれている。また、万国博覧会には西洋諸国が植民地の人々を展示してきた歴史も刻まれている。万国博覧会での人と人との出会いが思いがけない変化をもたらすこともある。2005年の愛知万博では、当時、紛争を繰り返していたアルメニアとアゼルバイジャンがコーカサス共同館として出展。徐々にお互いを理解していく機会となった。
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