- 出演者
- 中居正広 若林有子 柏木由紀 藤本美貴 早見優 森口博子 高橋みなみ 高松瞳(=LOVE) 松村沙友理 月足天音(FRUITS ZIPPER) 鎮西寿々歌(FRUITS ZIPPER) 仲川瑠夏(FRUITS ZIPPER) 牧野真莉愛(モーニング娘。’24)
今回は「アイドルに学ぶ!競争社会を生き抜く折れない心の作り方」。
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- タモリ
1980年代前半はレコードからCDに切り替わった時期で、アイドル黄金期。1981年には松本伊代、1982年には早見優、堀ちえみ、1985年には南野陽子がデビューした。「ザ・ベストテン」には競争社会を生き抜くためのアイドルたちのガッツ溢れる姿が映し出されていた。1983年の年末、紅白歌合戦のリハーサル中に足を負傷した中森明菜がスタッフに「顔を見せるまでやってくれないか」と言われ出演。さらに生放送中にスタッフから「歌っちゃおうか」と言われ急遽歌を披露した。早見優は林間学校で来ていた秋保温泉から中継で歌を披露した。
早見はそもそもオフがない、マネージャーにはピンク・レディーは睡眠時間が2時間だったと言われたと話した。
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- ピンク・レディー
1980年代後半はアイドル冬の時代。1989年から1990年にかけて人気歌番組が相次いで終了した。1985年にデビューした森口博子は体を張って笑いを取るバラドルに活路を見出した。
1990年代後半~2000年代にかけてはモーニング娘。がほぼ一強状態だった。デビューのきっかけはオーディション番組「ASAYAN」で、参加者は約1万人だった。さらにデビュー3か月で8人に増員した。その後も増員は続き、グループ内で熾烈なライバル闘いが勃発した。ソロでトップアイドルに上り詰めていた藤本美貴も電撃加入した。モーニング娘。は25年間全シングルがオリコントップ10入りを果たした。
藤本はソロからグループに入ったのは未だに私だけ、当時は嫌だったと話した。
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- モーニング娘。
2000年代後半はAKB48がアイドル界を席巻。秋元康は「会いに行けるアイドル」というコンセプトを打ち出し、手の届かないスターだったアイドルを身近な存在にした。
AKB48の選抜総選挙はファンの投票で選抜メンバーが決まるイベント。アイドル人生をかけた一大決戦だった。競争社会で切磋琢磨したAKB48は女性アイドルグループとして初めて日本レコード大賞に輝いた。乃木坂46はAKB48公式ライバルとしてデビューし、2017年に日本レコード大賞を受賞した。新世代アイドルが台頭し、今も熱い火花をちらしている。
森口博子はタモリに「長い番組をどうやったら続けられるんですか」と相談したら「反省しないことだよ」と言われ「悩み事にも寿命が思えるようになった」と思えると話した。また「前にできてたことができなくなっている」と相談したときは「前にできてたことが正解とは限らない」と言われたと話した。藤本はソロからモーニング娘。に入って「巻かれちゃいけない」と思って先輩にもめちゃくちゃ言っていたと話した。
松村沙友理は事務所の社長に「ひいきされる人間になれ」と言われた、ひいきされるのは悪いことだと思っていたがアイドル界では特殊能力だと思った、スタッフにもニコニコして嫌なことがあっても言わないようにしていたと話した。柏木は理不尽でも納得いかなくても今のポジションでやれることを頑張っていたと話した。
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高橋は秋元康に「嫌われる勇気を持ちなさい」「嫌われる勇気を持ってその人のためになることを言った人が信頼関係を築ける」と言われたと話した。柏木は握手会で最高1000枚出してくれた人がいて1時間10分話したと話した。早見は自分の成長とアイドルらしい自分のバランスをとっていくかが難しかったと話した。石原は役者も一緒で昔の映画スターはそれを意識していた。中居は人としてもタレントとしても未完成である過程を応援している、完成されるとつまんなくなっちゃう、男性アイドルが髭伸ばし始めたら何かに抵抗していると話した。
次回予告。