- 出演者
- 中居正広 若林有子 川合俊一
今回は日本男子バレーボール波瀾万丈。
- キーワード
- 日本バレーボール協会石川祐希高橋藍
川合俊一は石川祐希選手の登場は日本バレーに起きた革命だと話した。石川選手は小学3年生でバレーボールに出会った。姉の練習試合を見に行ったとき試合で飛び入り参加し、初めてのプレーでスパイクを決めた。4年生でバレーボールチームに入団すると開始4か月で全国大会に出場した。中学時代は170センチ弱とバレー選手としては小柄だったためアタックが決まらず苦しんでいた。石川選手は攻守問わない様々なポジションを練習し、その後オールラウンダーとして成長する原点となった。星城高校に進学すると身長も180センチを超えて頭角を現し、史上初の2年連続高校3冠を達成した。中央大学では1年生でエースに君臨し、18年ぶりの大学日本一に導いた。チケットは連日完売し、前代未聞の石川フィーバーが起きた。2014年5月に18歳で日本代表入り。アジア大会準々決勝インド戦、相手に2セットを取られた第4セットに投入された石川選手は試合の流れを変え逆転勝利。銀メダル獲得に貢献した。その後イタリアのモデナからオファーがあり短期留学。高さと言葉の壁に苦しみながら、空き時間にはイタリア語を猛勉強。着実に成長した石川選手は大学在学中にイタリアリーグに参戦し、大学3年のときに所属したラティーナではリベロを命じられた。卒業後はシエナに入団し、石川選手は世界のトッププレーヤーになりたいと口にするようになった。プロ1年目ながらチームでただ1人全試合に先発し、得点ランク12位に入った。その後強豪チームを渡り歩き、ミラノでは海外リーグ日本人初キャプテンを務めた。しかし日本代表としてはリオ五輪出場を逃した。世界選手権やネーションズリーグでも全く結果が出なかった。
石川の背中を追う世代が現れる。2018年に西田有志が18歳で日本代表入り。鮮烈な代表デビューを飾った。3年後にはイタリア・セリエAに挑戦した。石川の6歳下の髙橋藍は高校生で代表に選ばれ、東京オリンピックでは全試合に先発出場した。その後高橋もイタリアでプレーした。現在日本代表の海外経験者は7人。川合は日本だと身長が同じか低い人と戦うから100%出さなくても決まったりする、海外はみんな自分より高いので高さを意識して戦うと話した。身長では勝てなくても練習次第では海外に通用するプレーができるという意識を生んだことが石川祐希が起こした革命だった。2023年のネーションズリーグでは強豪ブラジルを30年ぶりに撃破。3位決定戦ではイタリアに勝利し、主要な国際大会で46年ぶりのメダルを獲得。オリンピック出場権を自力で獲得した。
川合が選出した日本代表のベストプレーとともに各選手のすごさを紹介。石川祐希の強みは最高到達点353センチから打ち下ろされる時速125キロの超高速スパイク。目線と違う場所に打ったりバックアタックと見せかけてトスを上げるといった外国人選手の高さを攻略するために磨いた技術の高さを伝えた。
川合が伝えた石川祐希のスーパープレイを伝えた。川合はジャンプ力の高さ、スイングの速さ、倒れてからすぐ立ち上がって打ちに行く運動能力の高さがすごいと解説した。続いて高橋藍選手のスーパープレイを伝えた。ブラジル戦で決勝点を決めたシーンでは、スパイクに横回転をかけてブロックをアウトにさせていた。「ハイキュー!!」に登場するトリッキーなプレーも試合で披露していた。続いて西田有志選手のスーパープレイを伝えた。2020年には国内リーグでMVP、得点王などタイトルを総なめした。
日本代表のスーパープレイを紹介。西田有志選手はスパイクに加え、時速128キロを記録した高速サーブが武器。宮浦健人選手は精度の高いスパイクが武器で、サイレントスナイパーの異名を持つ。リベロの山本智大選手は粘り強くボールを繋ぐ日本の守護神。セッターの関田誠大選手はトスの姿勢が真っすぐでどちらに上げるのか予想がつかず、相手の反応が遅れる。川合が選出した関田選手がワンハンドで打ちやすいトスを上げるシーンを紹介した。
ゲッターズ飯田は芸能界一の強運の持ち主だと断言。川合を携帯の待受にすると運気が上がるとも言われている。バレーボール男子の快進撃の裏には川合の持つ強運が関係しているという。日本代表は1964年の東京五輪で銅メダル、ミュンヘン五輪で金メダルを獲得したが、モントリオール五輪で4位とメダルを逃したのを皮切りに成績はガタ落ち。実力と人気ともに男子バレーは長い低迷を続けた。そこに男子バレー界に現れた救世主が川合俊一。1983年のアジア選手権でロサンゼルス五輪出場へ最後の切符をかけた中国戦、2セットを先取され崖っぷちの状況で投入された川合が試合の流れを変えて逆転。ロス五輪出場を決めた。ソウル五輪にも出場した。
「バレーボールネーションズリーグ男子 日本×スロベニア」「情報7daysニュースキャスター」の番組宣伝。
川合は中学、高校、大学とたまたま良いメンバーが揃って良い成績を残すことができたと話した。1985年に富士フイルム・プラネッツに入団すると3年連続日本リーグで優勝。活躍と甘いマスクで人気者になり、川合のスタイルブックも発売された。プロビーチバレー選手としても活躍し、27歳で現役を引退した。すると日本代表はバルセロナ五輪を最後に3大会連続で予選敗退。2011年、眞鍋政義監督からの依頼で女子バレー強化副部長に就任した。女子バレーも低迷期でロサンゼルス五輪以降メダルを逃し続けていたが、川合が関わって1年後のロンドン五輪で女子バレーは銅メダルを獲得した。2022年には日本バレーボール協会の会長に就任した。その年のネーションズリーグでは就任前の11位から5位にジャンプアップし、2023年にはブラジルを撃破し銅メダルを獲得した。その後パリ五輪への切符も手に入れた。去年のオリンピック予選でフジテレビがシャレで川合ののぼりも立てたところ、1試合目を勝利した。のぼりを外した後の2試合目は敗れた。プロデューサーからもう1回立てていいかと聞かれ再びのぼりを立てたところ、その後連勝したという。「ハイキュー!!」もバレー人気を後押しし、現在は空前の男子バレーブームが起きている。