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「箱根駅伝 伝説のシーン表と裏 3時間SP」の番組宣伝。
今夜6時放送の「箱根駅伝 伝説のシーン表と裏 3時間SP」に入り切らなった箱根駅伝伝説シーンを紹介。1987年の第63回大会では小川光明が実況し、当時から今昔物語を伝えていた。今回は今昔物語で反響の大きかったものを特集する。
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- 小川光明東京箱根間往復大学駅伝競走
1987年・第63回大会の今昔物語「タスキをペンに持ちかえて ~山梨学院大学 高橋しん~」と題して紹介。高橋は現在人気漫画家として週刊ビックコミックスピリッツにて「いいひと」を連載し、いつか箱根駅伝の漫画を描きたいと抱いているなどと伝えた。
1959年・第35回大会の今昔物語「六連覇の秘密 ~中大OB 栗原正視氏・二宮隆明氏~」と題して紹介。栗原らは伏兵の埼玉大学にトップを奪われるも西内文夫監督の激励で区間賞の走りを見せたなどと伝えた。
「箱根駅伝 伝説のシーン表と裏 3時間SP」の番組宣伝。
高木ヤス子さんは、小田原にあった山本旅館の三女で子どもの頃から箱根駅伝に親しんできた。高木ヤス子さんは「むずむずしちゃう 駅伝って聞くと」と語る。当日はご近所さんをトラックに載せ、家族はオープンカーに乗り込み、間近で声援を送った。山本旅館は中央大学の定宿で、お世話する学生の中に、高木四郎さんがいた。しかし太平洋戦争が勃発し未来ある若者たちは、戦地に散った。四郎さんも南方へ出征した。高木ヤス子さんは「小田原の駅の鉄橋のすぐ側に山本旅館様と書いた手紙が落ちていたんです」などと振り返った。昭和20年、終戦。しかし四郎さんの消息はわからないまま。その間、ヤス子さんにはいくつもの縁談が舞い込んだ。四郎さんは生きていたこと知らせてくれたのも箱根駅伝だった。箱根駅伝が仲を取り持ち二人は結婚。その後四郎さんは母校・中央大学の総監督に就任。
花の二区でしのぎを削った双子。法政大OBの兄・井田茂宣さんと専修大OBの弟・井田芳宣さん。兄・茂宣さんは報徳学園高から法政大学へ。1年生から箱根駅伝に出場。弟・芳宣さんは、兵庫県立神戸高塚高から専修大へ進学。2年生の時に初出場を果たした。共にキャプテンとなった二人が迎えた最後の箱根駅伝で、第68回大会で史上初の双子対決が実現した。前を行く弟を兄が追う。差は56秒。弟のペースが上がらず。その後3キロを並走した。弟の芳宣さんは、一緒に区間を走れたことが本当に幸せで非常にいい思い出にはなったと語った。個人記録は6秒差で兄が勝った。
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2012年に箱根路の名所の一つの京急蒲田の第一踏切が撤去された。かつてコース上に三箇所あった踏切は優勝の行方をわけた。50人体制で京急蒲田は列車の運行を調整していたが2002年の大会で大東文化大学の田子さんは踏切で電車を待つはめになったいう。25秒後にスタートしたが順位は押し上げることはできなかった苦い経験を語った。
箱根駅伝 伝説のシーン表と裏 3時間SPの番組宣伝。生田は見どころに昔の珍事件や選手の関係性が聞けたりして見たことない人も見たくなると答えた。
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箱根駅伝「今昔物語」 100年をつなぐ言葉のたすきの宣伝。
箱根駅伝創設者の金栗四三は日本人初のオリンピアンでマラソン競技に出場した。しかし熱中症で完走できず。その悔しさは後進の育成に注がれた。金栗さんの娘たちは箱根駅伝が100年も続いたことに父の執念深さを感じるという。その金栗四三の実際の講演を紹介した。そのタスキは箱根から世界に今も繋がっている。
箱根ランナー第2の人生を紹介。花の2区を4年連続で走った早稲田大学の瀬古利彦はその後マラソンで10回も優勝した。1979年の箱根駅伝でたすきを渡した同級生の金山雅之さん(66歳)は現在小説家・黒木亮として活躍している。金山さんは1957年に北海道で生まれ、家庭の事情で養子となった。生みの親に連絡を取ると、父親が箱根駅伝を走って優勝した時の写真が同封されていたという。父・久夫さんは区間新記録でチームを優勝に導いていた。走った区間も同じだった。
箱根ランナー第2の人生を紹介。1993年に山梨学院で2区を走ったケニア出身のマヤカさんは桜美林大学の駅伝監督となっていた。とりあえず日本行ってみたらどう?と先生に言われて留学した。1か月で帰国できると思っていたら、そのまま日本にいることになってしまったが、箱根駅伝に魅了されエースとして活躍。1999年に元マラソン日本代表の妻・玲世さんと結婚して2005年に日本国籍を取得した。
2019年箱根駅伝で2位に終わった青山学院大学。5連覇確実と言われた青学だったが選手が低体温症となり心に傷を負った。失意の選手を原監督は呼び出し「ブレーキはブレーキ」と伝えた。この言葉には監督自身の忘れられない過去が関係していた。箱根駅伝5日前、寮には箱根駅伝で使う襷が。選手・スタッフが名前を書く。最後は原監督。2019年元日、選手たちが寮を出発。迎えた3区、8位で襷を受けたキャプテン・森田選手が7人抜きでトップとなり区間新記録をマーク。トップで襷を受けた4区の石見選手は低体温症に陥っていた。何とか襷をつなぐもトップからは3分30秒の差を付けられた。青山学院は5連覇を逃し報告会では石見選手は責任を感じていた。箱根駅伝から2日後、新チームとなり始動したが石見選手は前を向くことができなかった。ある日の練習は原監督は石見選手を呼び出した。実業団ランナーだった原監督は大舞台でエース区間を任されるもブレーキ。わずか5年でクビになった。石見選手に笑顔が戻った。翌年、8区を任された石見選手。トップを襷を受けると区間2位の激走。そして青山学院大学は優勝。石見選手は今も実業団ランナーとして走り続けている。
「箱根駅伝 伝説のシーン表と裏 3時間SP」の番組宣伝。
作家・池井戸潤さんの長編連載小説「俺たちの箱根駅伝」。池井戸潤さんからの手紙を紹介した。「俺たちの箱根駅伝」上下巻は来年4月発刊。
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