- 出演者
- 内村光良 大竹一樹(さまぁ~ず) 千原ジュニア 池田美優 清水ミチコ 勝俣州和 高橋茂雄(サバンナ) シュウペイ(ぺこぱ) アンミカ 松陰寺太勇(ぺこぱ)
日本人が勘違いしていた名曲SPをお届け。サザンオールスターズのいとしのエリーは曲中何度も登場するエリーという名の彼女らしき人物。しかしエリーは恋人ではなく姉のエリコさんがモデルだという。
- キーワード
- いとしのエリーサザンオールスターズ
布施明のシクラメンのかほりは第17回レコード大賞に輝いたが、シクラメンには香りはないという。作詞した小椋佳はシクラメンに香りはないと断言し、存在しないウソの世界を表現しているという。
今回は日本人が勘違いしていた名曲SPをお届け。PUFFYのこれが私の生きる道、湘南乃風の純恋歌などの名曲に隠された真実を紹介していく。
海援隊の「贈る言葉」は3年B組金八先生の主題歌でおなじみ。1979年に発売したこの曲は代表的卒業ソングで20代から60代にとったアンケートでも海援隊の贈る言葉は卒業ソングとしてぶっちぎりの1位。しかし贈る言葉は卒業ソングとして作られていたわけではなく実際は失恋ソング。武田鉄矢が大学生の頃に福岡の繁華街で好きな人に迫った時に叫ばれて逃げられてしまったがその去りゆく彼女の後ろ姿を泣きながら見ていた際の当時のエピソードを元に作曲した。しかし3年B組金八先生の主題歌になると生徒を送り出す卒業式のシーンが歌詞とマッチしたために卒業ソングのイメージがついたという。
レミオロメンの3月9日は卒業ソングではなくボーカルの幼馴染の結婚式のお祝いで制作されたもの。しかし卒業の時期と近かったことから勘違いされていた。
クリスタルキングの大都会は夢を抱く若者を描いた大都会のイメージがあるが、東京ではなく博多をイメージされて描かれた。クリスタルキングは長崎県佐世保市で結成されたが、佐世保のクラブで腕を磨き、1975年には博多のディスコにヘッドハンティングされた。そんな博多での活動を歌った曲だったという。
ザ・ドリフターズのいい湯だなは群馬のご当地ソングのカバー曲だった。元々は永六輔の作った群馬県のご当地ソングで、ドリフの歌詞は全国の温泉地がでてくるが、本家は群馬の温泉地が並ぶ。
湘南乃風の「純恋歌」について高橋は歌詞の中においしいパスタとあるが、レトルトのたらこスパゲティだった。メンバーの若旦那はレゲエの修行でジャマイカに訪れていた時期があり、そのジャマイカには日本からレゲエミュージックを学びたい人がたくさんいた中で、若旦那と仲良しになった友達の知り合いの女性が日本で買ってきたレトルトのたらこスパゲティを振る舞ってくれたという。その久しぶりの日本の味に感動した体験を歌詞にしているという。またその後の歌詞でこの女性に「惚れた」とあるが、たらこスパゲティをぱぱっと作る手際のよさに惚れたという意味だった。千原ジュニアはゆずの夏色について、冬に制作したので歌詞の中で冬に体験したことをそのまま歌詞にしてしまったので夏では起こらない季節的現象が発生していると語った。
国民的ロックバンドのGLAYの大ヒットソングBELOVEDはサビの印象的な歌詞があるが、この曲は失恋ソングのイメージがあるがグループのメンバーに向けてのメッセージで、売れようが売れまいがバンドをこれからも一緒にやっていこうという想いが詰まった曲だという。
若者に大人気のバンドMrs.GREEN APPLEだがそのバンド名について、ボーカルの大森元貴はりんごアレルギーだという。実際には響きの良さで決めたという。勘違いでリンゴのプレゼントをもらうが本人は申し訳ないと思っているという。
次に吉本新喜劇でおなじみのテーマ曲はひょうきんなイメージがあるが関西人もびっくりのテーマ曲の勘違いがあるという。この原曲は失恋ソングで、元になっている曲は1918年にレオ・ウッドが作曲したSomebody Stole My Galというジャズソング。その元が失恋ソングだという。しかしその後トロンボーン奏者のピー・ウィー・ハントが明るい曲調にアレンジしたがその後大阪のテレビ局が吉本新喜劇のテーマ曲に選んだ。
1986年に発売された薬師丸ひろ子の「紳士同盟」のB面曲のハードデイズ ラグの間奏には誰もが知る有名なメロディが流れる。その曲の中では番組「ごきげんよう」の中でおこなわれるサイコロトークに使用されていたメロディでこの曲から使われていた。しかしこの番組に薬師丸ひろ子は一度もでていない。
モーニング娘。の「LOVEマシーン」は1999年に発売されグループ初のミリオンセラーを達成した。しかしこの曲はモーニング娘。のために作られたわけではなくシャ乱Qのお蔵入りの曲だった。1993年につんく♂がシャ乱Qのために作曲し、良い曲ができたと報告したが曲を聴いたメンバーはこんな曲はできないと否定したためにお蔵入りに。その後モーニング娘。が売れていく中で6年越しの想いで大ヒットした曲だという。勝俣はイントロ部分のダンスのモデルはアホの坂田師匠で、つんく♂の要求があったためと伝えた。
松田聖子の赤いスイートピーについて、清水は作詞家は松本隆が行ったが、作曲家は呉田軽穂という人物。この人物は松任谷由実。自分の名前を使用せずにペンネームを使ったというがその理由は曲調だけで人の心を惹きつけてみたかったと話していたという。
シュウペイはアーティストの米津玄師についてかっこいい芸名にみえるが本名だという。親に自分の名前を聞いておらず何故この名前なのかは知らないという。
- キーワード
- 米津玄師
ZARDの名曲「負けないで」は超有名アーティストが関わっている。アンミカは世代を超えた人生の伴奏歌として勇気をもらった人もいるが、実は曲の中にはコーラスがいてそのコーラスを大黒摩季が行っていてうっすらその声が入っていることがわかる。大黒摩季と坂井泉水は同じ事務所で仲が良かったために実現したという。高橋はZARDの豆知識に平成5年のオリコンチャートについて1位が槇原敬之の曲「No.1」。2位がZARDの「もう少し あと少し…」で、まるでZARDの曲が1位を逃したような心境を伝えているようにみえると答えた。
松平健のヒットソングマツケンサンバ2は2004年にリリース。最近の曲はイントロが短いことが特徴だがこの曲のイントロ時間は66秒ある。このイントロが長い理由は松平健の着替え時間を確保するため。そのコンサートの様子では松平健は曲振り後に舞台袖に猛ダッシュ。そのイントロの中で着替えをしていた。舞台に来ているお客を待たせない工夫だというがそのままCD音源に使用されていた。
1996年にリリースされたPUFFYの」これが私の生きる道」はゆるく歌うスタイルで一斉を風靡した。元々は資生堂のヘアケア商品のイメージソングとして作られた。そのタイトルのこれが私の生きる道の漢字を切り取ると「資生堂」となる。作詞作曲は奥田民生だがそれが故意なのか偶発的だったのかは明かされていない。
山口百恵のいい日旅立ちというタイトルには日立と日本旅行が隠されている。当時日立と日本旅行に対しキャンペーンソングへの協賛に感謝の意を込めてこのタイトルにしたという。作詞作曲をした谷村新司は、後世に残る名曲を作り上げたいと考えていたという。
平井堅のカバーで大ヒットした大きな古時計はおじいさんが生まれた時から100年時を刻んだ古時計がおじいさんが亡くなると同時に動かなくなるストーリー。原曲は海外の歌で、実在する古時計をモチーフに作られたがその歌詞を聞くと意外な事実が発覚。時計が止まったのは100年ではなく90年だった。作詞家は日本語にする際に90年では語呂が悪かったのでメロディにのせにくいとの理由で100年になった。