- 出演者
- 田中寛人 鹿島綾乃 三條雅幸 坂下恵理 庭木櫻子 島田莉生 松永貢 山本未来 田口詩織 米山雄汰 高良健吾 原田琥之佑
オープニング映像、鹿島綾乃がオープニングの挨拶。
「特集ドラマ『手塚治虫の戦争』W主演高良健吾x原田琥之佑」を伝える。
熊本の中継映像。熊本市内では経験したことがないような暑さとなっている。熊本地方気象台によると熊本市ではきょう午後1時、気温が39.9°Cを観測し、1890年に県内で観測をはじめて以来過去最高を更新した。この他の地域も高気圧に覆われ晴れていて、午前中から気温が上がっている。福岡県から実家の氷川町に帰省した男性は「塩あめと麦茶を買ってきているので適度に補給してやっている」などと話した。午後1時半までの各地の最高気温は熊本市と菊池市で39.9°C、甲佐町で39.4°Cなどとなっている。日中の予想最高気温は熊本市で40°Cと酷暑日となっている。連日続く暑さで県はきのう地震のあと車中泊をしていた70代の女性が熱中症の疑いで死亡したと発表した。県内では熱中症警戒アラートが発表されている。
御船町の住宅型有料老人ホーム「まるもり熊本」。届いたのは入所する高齢者のお弁当や食事。ふだんは八代市にある給食施設から1日3食分が高齢者の口にしやすい大きさや固さで届けられるが今回の地震で断水などが続き、食事を作ることができなくなった。各方面に働きかけて弁当を調達したり、ボランティアから届けられる食事を提供したりしている。老人ホームによると被災した別の施設から30人余が身を寄せていてい、現在約70人分の食事を用意する必要があり、連日綱渡りの状態が続いている。入居者の中にはそしゃくするのが難しい人もいるため担当者がミキサーで細かくするなど食事の提供にかかる負担も増えている。
危険な暑さが続いている。今後の見通しと注意点、気象情報を気象キャスター・松永貢が伝えた。熊本では気温が40°C目前まで上がっている。酷暑の中での避難生活というかつて経験したことのない状況になっている。台風13号は大型の台風になっている。沖縄、奄美では木曜日以降大荒れの天気に警戒が必要。九州でも影響が出る見込み。熱中症の応急処置「冷やすポイント」を紹介した。
きょう午前7時半すぎ、福岡県古賀市の九州自動車道下りで「車どうしの事故が起きた」という内容の110番通報があった。警察によると事故は追い越し車線で発生し、車6台が関係していてけが人はいない。自衛隊の車両が1台含まれている。警察が事故の状況を調べている。
熊本県氷川町に住む高校1年の女子生徒が亡くなった。父親によると地震当時女子生徒は1人で自宅2階の部屋にいて、揺れが収まり家族が駆けつけると倒れていた。病院に搬送されたが死亡を確認。死因はけい椎損傷で、状況から地震の揺れで転んで首を打ったのではないかとしている。昨夜氷川町の斎場で営まれた通夜には同級生や友人などが参列した。同級生などによると女子生徒は明るくて優しくリーダーシップがあった。
今回の地震で熊本県内ではきょう午前7時半時点で災害関連死の疑いがある人などを含めて38人が死亡。開設している避難所は県内で206か所あり、8,556人が避難している。住宅の被害は全壊181棟、大規模半壊20棟、半壊225棟などであわせて4,622棟の被害が確認されている。きのう午後2時時点で約4万6,700戸で断水が続いている。
江戸時代に始まったとされる福岡県久留米市の「筑後川花火大会」は例年40万人以上が訪れる西日本を代表する花火大会。367回目のことしも1万2000発の花火が打ち上げられて夏の夜空を彩るはずだった。大会実行委員会は今回の地震の影響で警察や消防、交通機関など関係機関の十分な体制が整わず観客の安全が確保できないおそれがあるとしてことしの大会の中止を発表した。実行委員会の事務局は「中止は非常に残念だが観客の安全を考慮すればやむを得ない」と話している。
熊本の中継映像。熊本県内は猛烈な暑さが続いている。公共施設など可能な限り涼しい場所で過ごすよう呼びかけた。食中毒にも注意が必要。
松山市と熊本市は災害時に物資や人員を送り合う協定を2012年に結んでいて、今回震度6強の揺れを観測し各地で被害が出た熊本市に支援物資を送ることになった。きょう松山市中央公園では市職員などがフォークリフトを使ってトラックの荷台に物資を積み込んだ。先週現地に派遣された市職員が被災地で聞き取りを行ったところ、厳しい暑さへの対策や、台風に備えるために必要な物資の要望が多かった。今回は避難所などに設置する移動式のスポットクーラー5台と、日陰を作ったり雨よけのために壊れた屋根などにかけたりするブルーシート2,500枚を送る。トラックはあす午前熊本市に到着する予定。
全国有数の紙の産地、愛媛県の四国中央市で毎年開かれている書道パフォーマンス甲子園は高校生たちが縦4m、横6mの巨大な紙に音楽に合わせて書を書き上げ、文字や演技の美しさを競う。19回目となったことしは全国から予選を勝ち抜いた22校が出場した。愛媛県から出場した伊予高校は人生の主導権は常に自分にあるという思いを表現しようと「行き着くところ」という意味の「帰趨」という文字を書き上げた。審査の結果、水戸葵陵高校が2年連続2回目の優勝を果たした。
最大震度7の非常に激しい揺れを観測した熊本県では住宅が倒壊するなどの被害が相次いだほか、断水や停電などライフラインへの影響も続いている。今回の大地震を受けて大阪市はきょうから市役所の庁舎と全区役所に募金箱を設置して義援金の受け付けを始めた。寄せられた義援金は日本赤十字社を通じて被災した人たちに全額寄付される。大阪市はこれまでに下水道の復旧などに携わる職員15人を熊本県に派遣したほか、給水車も2台派遣していて、今後現地のニーズに応じて職員を追加で派遣するなど必要な支援を進める。
京都大学の霊長類フィールド研究センターでは霊長類の研究に関する膨大な記録や各地で集めたサンプルを前身の研究所から引き継いでいる。記録などは当時の人々の暮らしをしる手がかりとなることや、病原体研究などの分野で新たな発見が期待できるとしてセンターは記録を整理して公開する資金を募ろうとクラウドファンディングを始めた。目標金額は150万円。各地で撮影された写真などをデジタル化して公開する費用や、霊長類が食べた植物やフンなどのサンプルの保管にかかる費用にあてられる。募集は9月17日までで、100万円寄付すると海外でフィールドワークを体験することもできる。
ビーチサンダルは神戸市長田区のゴム製造会社が1950年代に草履を参考に作ったのが始まりとされている。8月3日は「ビーチサンダルの日」。長田区役所では発祥の地をアピールしようと地域協働課の職員約20人がビーチサンダルを履いて勤務している。長田区によると阪神・淡路大震災による被害や工場の海外移転などでビーチサンダルの国内での生産は一時途絶えたものの、区内ではその後ビーチサンダルの一部が製造されるようになった。
海外の人たちに福島県の魅力を知ってもらい、インバウンド需要の拡大や県産品の販路拡大につなげようと福島市が企画した取り組み。きょうは福島大学に通う台湾からの留学生4人が福島市飯坂町の果樹園を訪れ福島のモモの主力品種「あかつき」のPR動画を撮影した。4人はこのほか飯坂温泉など福島市の観光スポットをまわって動画を撮影し、後日自分たちで編集したものをSNSに投稿する。福島県産のモモをめぐっては、先月末に台湾当局の担当者が県内で最終的な検査を行うなど原発事故のあと16年ぶりとなる本格的な輸出再開に向け準備が進められている。
国土交通省は毎年全国の一級河川で水質調査を行っていて、県内を流れる阿武隈川と荒川を含む全国160河川が対象。調査は水質の汚れや濁りの代表的な指標で水中の汚れを微生物が分解する際に消費した酸素の量「BOD」の値などをもとに評価。調査の結果、荒川のBODの年間平均値が基準と同じ1リットルあたり0.5ミリグラムで、16年連続で「水質が最も良好な河川」に選ばれた。今回「水質が最も良好な河川」に選ばれたのは13河川で、荒川は20年連続の熊本県の川辺川に次いで2番目に長い。荒川の水質が良好な理由について国土交通省 福島河川国道事務所は吾妻山系の伏流水の影響で本来きれいな川であることなどが要因と分析している。
高知の中継映像を背景に気象情報を伝えた。
「鉄腕アトム」や「ブラック・ジャック」など生涯700を超える作品を生み出した漫画の神様手塚治虫についての特集。創作の原点にあったのは戦争の時代に生きた自らの経験。知られざる手塚の姿を描いた特集ドラマ「手塚治虫の戦争」が8月12日に放送となる。物語の舞台は1970年代。手塚治虫の会社が倒産。漫画の神様は人生最大の試練を迎える。すべてを失いかけた手塚が向き合ったのは戦時中の自らの姿。16歳で経験した大阪大空襲をもとに漫画「紙の砦」の執筆に挑む。ドラマはダブル主演。手塚治虫役を高良健吾、漫画「紙の砦」に登場する大寒鉄郎を原田琥之佑が演じる。
きょうから3回のシリーズで特集ドラマ「手塚治虫の戦争」の見どころを伝える。きょうはW主演・高良健吾と原田琥之佑のインタビュー。ドラマで描かれるのは漫画の神様ではなく傷つき、懸命に生き抜く1人の人間「手塚治虫」の姿。ドラマの原作は「紙の砦」。戦時下の大阪で漫画家になる夢を追い続ける主人公「大寒鉄郎」。鉄郎と原田は同い年の16歳。当時の旧制中学は軍国主義一色。マンガを描くことは不真面目な行為として厳しく咎められた。昭和16年に始まった太平洋戦争。同級生の勇ましい文章が並ぶ中、手塚が書いたのは「蟻の貯水場」。自宅の庭でアリを観察した記録。戦時中も手塚には小さな命を見つめる目があった。軍需工場に動員されたがしばしば仕事を抜け出してはマンガを描いていた。
