- 出演者
- -
様々なアイデアや発明で日本人の生活を変えた功労者を紹介、その生き様を学ぶ番組。
- キーワード
- 織田信長
80年代に登場、今も世界中で愛される「カラオケ」。発明者はこれまで分かっていなかったが、米国電気電子学会は新たに根岸重一を発明者として認定。発明は67年。当時は板橋で小さな下請工場を経営。根岸は様々なアイデアを出し商品化していた人物で、仕事終わりにスナックなどで歌うことが大好きだった。従業員から冗談で「歌が下手」と指摘され、歌に自信があった根岸は「伴奏と一緒に聞けば下手じゃないと分かる」と着想し試作機を開発。初めて歌った曲は児玉好雄「無情の夢」。
カラオケを開発した根岸重一。試作機ができた時点で課題だったのは、伴奏だけのテープが入手できず歌手の歌声も一緒に流れてしまうこと。放送業界では生の演奏ではなくテープなどの音源で代用することが「カラオケ(空オーケストラ)」と呼ばれていて、そのテープを借り受けて商品化。マイクの声に反応して光るよう、スピーカー部分にはフラッシュライトがついている。歌詞カード付き。1つ18万円と高額。お金を入れると10分間歌えるシステム。名称が棺桶に似ていることから「ミュージックボックス」と改め全国に販売。
カラオケを開発した根岸重一。当初返品が相次いだのは、すでにスナックなどにあったあった「流し」からの反発があったため。BGMを流すための装置としてしか使わない店も多かった。売れ行きは8年間伸びず、1975年にてったい。その数年後に大手メーカーが同様のものを発売し普及。特許を取っておらず儲けはなかったが、本人はそこまで気にしていなかった。80年代には映像と歌詞が出るビデオカラオケが登場、コンテナ型の個室ボックスも普及した。2024年に発明者として知られることなく100歳で亡くなったが、後に米国電気電子学会から「世界初のカラオケ発明者」として認定された。
ここまで、カラオケを開発した根岸重一の生涯を紹介。VTRに登場した世界初のカラオケ機の現物をスタジオに用意。声や音楽に合わせてスピーカー部分のフラッシュライトが光る。
発明家のひらめきにまつわるクイズ。卵パックは日本発祥。開発したのはダイヤフーズ(現エフピコダイヤフーズ)創業者の加茂守。それまでもみ殻に並べて販売されていたが、スーパーの増加により大量輸送・陳列できるよう開発された。この形状を思いついたのは子どもが遊んでいたあるものをを見たから。それは何かを出題。正解は吹き上げパイプ。ボールが下につかないようフレームで支えられていることから着想。完成は1965年ごろ。形状は今も変わっていない。
発明家のひらめきにまつわるクイズ。世界初の保湿ティッシュを開発したのは河野製紙(高知)研究員の谷口健二さん。91年、鼻炎に悩む人のため開発がスタート。柔らかい肌触りを実現するには水分量を高める必要があり、その開発に苦労した。解決のきっかけになったのはある食べ物。それが何かを出題。正解はカステラ。砂糖に保湿効果があることに着目し、同じ効果がある物質を配合し93年に誕生。最新作「絹雲」は3枚重ねでオイル成分や植物性パウダーなど配合。
発明家のひらめきにまつわるクイズ。トイレの音消しについて。江戸時代には身分の高い女性が用を足す際、付き人が水を流して音を消していた。開発したのは折原製作所(荒川区)の折原征一さん。第1作「エチケットーン」は79年発売。出題は、排泄音を消す以外にあった効果とは何か。正解は節水効果。それまで水を流して音を消していたのをやめさせた。当時日本は水不足で、都議会でも節水対策として取り上げられた。
発明家のひらめきにまつわるクイズ。ビニール傘を開発したのはホワイトローズの9代目・須藤三男さん。ホワイトローズは1721年創業の雨具メーカー。それまで布製で雨により色落ちすることから、進駐軍が持ち込んでいたビニール製品をヒントに1958年に世界初のビニール傘を開発。先に米国で人気となり、国内でもファッションアイテムとしてヒット。一時は安い海外製品に押されるも、ある業界からの注文で再注目された。出題はそれはなにか。
発明家のひらめきにまつわるクイズ。ビニール傘は先に米国で人気となり、国内でもファッションアイテムとしてヒット。一時は安い海外製品に押されるも、ある業界からの注文で再注目された。出題はそれはなにか。正解は政界。演説時に使われるもので、選挙にちなんで名前は「カテール」。大きくて頑丈で、持ち手は「破竹の勢いで勝つ」として竹のデザイン。透明なので顔が見えやすく、庶民的なイメージもつく。今では宮内庁でも使われている。
世界一高い塔として作られた「東京タワー」。建設期間1年半、のべ22万人の技術者が協力した。中でも大きく貢献したのが当時70歳の建築家・内藤多仲。テレビ人気が高まっていた当時、テレビ局それぞれが電波を建てていたため景観悪化などが懸念されていた。放送事業参入を考えていた産経新聞の前田久吉が計画を提唱。「作るからには世界一高い塔」と譲らず、当時日本一の名古屋テレビ塔を手がけ耐震構造にも明るかった内藤に依頼。工期は依頼から1年9ヶ月後。エッフェル塔と同じく三角形を組み合わせるトラス構造を採用。
世界一高い塔として作られた「東京タワー」。構造はエッフェル塔と同じ。地震に耐えられるよう鉄骨をギリギリまで補足し、総重量をエッフェル塔の半分まで軽くした。開発の過程で描いた図面は1万枚以上。本来の役割はテレビの電波塔であり、開発の途中で放送局からアンテナの長さを伸ばすよう依頼される。塔自体を低くすることも考えられたが、「世界一高い塔を」と譲らず不眠不休で設計が完了。
世界一高い塔として作られた「東京タワー」。工事に尽力したのは鳶職人の黒崎三朗さん。黒崎建設は戦後復興工事の最前線に立ってきた精鋭部隊。黒崎は当時23歳の若きリーダー。建設期間1年半。毎日夜明け前から1m四方のゴンドラで最上部まで行き、東京湾からの強風のなか命綱なしで作業。納期に間に合わせるため風が強い日も作業を続けた。
世界一高い塔として作られた「東京タワー」。建設期間はわずか1年半。当時使われた圧倒的な作業効率を実現するスゴ技とは何かを出題。正解は、鉄骨を繋ぐ800℃の鋲を投げて打ち付けること。これを高所で行い、28万回繰り返した。
- キーワード
- 日本電波塔
世界一高い塔として作られた「東京タワー」。建設での最大の山場は巨大アンテナを塔の頂上に取り付ける作業。この日は風が強かったが、納期が迫っていたため作業を強行。設置が完了し、1958年12月23日に高さ333mの世界一高い電波塔(当時)が完成。開業翌年の入場者数は520万人。テレビの普及にも貢献した。
東京タワー建設中、鳶職人らは強風から鼓膜を守るため耳に10円玉を入れて作業。これをヒントに生まれたのがソニーから発売された「イヤホン」。ヘッドホンを小型化したもので、部品は10円玉と同じサイズまで小型化された。
台所と食事スペースを一体化した「ダイニングキッチン」。それまで寝る場所と食事を取る場所が一緒で、台所は寒くて暗い北側に隔離されていた。普及に大きく貢献したのが日本人女性初の建築家・浜口ミホ。人口が急増していた1955年、深刻な住宅不足の解決のため大規模な団地の建設を目的とした日本住宅公団が設立された。プロジェクトメンバーに女性として唯一加わったのが、当時日本の台所の問題点を批判していた浜口。
ダイニングキッチンを開発した日本人女性初の建築家・浜口ミホ。生まれは中国・大連の裕福な家庭。家は洋風で日本にあこがれていたが、日本に戻ってくると男尊女卑で女性が台所に縛られていることに衝撃を受ける。「住宅を変えて女性の尊厳を取り戻す」と建築家になり、それまで暗い場所に隔離されていたキッチンを家庭の中心に据えようと設計・実験を繰り返した。狭いスペースを活かすためキッチン台の上に収納棚を置き、男性でも使いやすいよう流し台を高くした。ガス台と調理台の間に流し台を配置し、動かなくても調理できるようにした。
