- 出演者
- 富澤たけし(サンドウィッチマン) 伊達みきお(サンドウィッチマン) トシ(タカアンドトシ) タカ(タカアンドトシ) 小泉孝太郎
続いて木下さんの思い出の場所でもある「65号棟」を目指す。あるアパートでは2階が完全に潰れてしまったり、おそらく落書きっぽいのが残されていた。許可をもらって近くで部屋を拝見。テレビなどの家具などがあった。当時船便で持って出て行くより新しい場所で買ったほうが安かったという。そのすぐ近くには病院があり高比良さんは頭を縫った記憶があるという。1~2階が処置室で3階が入院部屋、4階はナースの寮で男性禁制で壁には男性避けも設置されていた。3年前「博士ちゃん」で訪れていた時には屋根が残っていた場所も崩れていた。
そして65号棟へと到着。65号棟の前は公園になっていて遊具などがあったという。当時の映像が公開された。棟内には社宅だけではなく歯医者なども完備され、屋上には保育園があり子どもたちは屋上まで階段で通園していた。また当時皆顔見知りのため犯罪してもすぐ分かり、常に駐在さんが2名常駐しており牢屋もあったが酔っ払いの反省部屋として利用されていた。木下さんたちもここで遊んでいたこともあり、屋上でソフトボールもやったという。そして65号棟をドローンで撮影する。屋上には滑り台が残っていた。
ここでスタッフの呼びかけで戻ってくるように話していると何かを発見。見つけたのは紙で国会での田中首相についての記事が書かれていて閉山前の貴重な資料を発見。
軍艦島で思い出の地を探す。非公開エリアにある65号棟で当時の新聞を発見。長崎市の職員さんに確認してもらう。島からは持ち出せないためこのタイミングで出てくるのはすごいなど話した。また公園には新聞はなかったため部屋から飛ばされてきたと思われると説明。持ち出せないため画像と映像で記録し、長崎市に提出した。
ガイドの木下さんと高比良さんの思い出の味について聞くと「クジラジャガ」で軍艦島の子どもにとってのタンパク質で親父のつまみをもらっていたという。また焼酎のときもあったがビールと焼酎を混ぜた「ビー酎」を飲んでいたという。長崎県はクジラの消費量が全国1位で軍艦島でもクジラ肉が日常食となっていた。そこで軍艦島での旅の後にクジラジャガを食べれるお店を捜索。
軍艦島元島民の思い出の味「クジラジャガ」を求め長崎新地中華街・思案橋へとやってきた。長崎新地中華街には70軒以上の飲食店があるグルメスポット。ちゃんぽんなどに目を引かれながら探し、カステラのお店を発見し聞き込み。訪れたのは創業87年の和菓子店「双葉屋」。クジラジャガは豚肉をクジラ肉にした料理で中華街のはずれたところに鯨料理の割烹屋がありそこにあるかもしれないと教えてもらった。お礼に「食べ歩きカステラ」を購入して教えてもらったお店を目指す。
鯨料理の名店「とんぼ」を目指す。長崎名物「角煮まんじゅう」を発見し、肉まんと一緒に購入した。そして、教えてもらったとおりに道を進み発見。撮影交渉をして、クジラジャガもあり撮影もOKだった。一行が訪れたのは「鯨料理 割烹 とんぼ」。クジラ卸販売店の女将である小嶺弘子さんと板前の店主が経営するお店で30種類以上の鯨料理を食べることが出来る。一行は「鯨の刺身盛り」や「鯨じゃが」を食べた。
木下さんの父親は「昭和館」、母は「めがね」と呼ばれていた場所で働いていたという。その場所を探す。
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木下さんの父親は「昭和館」、母は「めがね」と呼ばれていた場所で働いていたという。めがねと呼ばれる場所は目の前にあり、木下さんよるとリアカーで集めたゴミを海へ捨てていたという。
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木下さんの母が働いていたという「めがね」へと向かった。現在は削り落とされているが階段があり、海の近くで捨てていた。当時は残飯、紙、木片のゴミで石油製品のゴミはなかったという。そしてめがねの由来は高島がよくみえるためだという。続いて父親が働いていたという「昭和館」を目指す。
木下さんの思い出の場所である昭和館をドローンで捜索。公民館の近くにある瓦礫の部分が昭和館で切符売場などが残っている状態だった。父は映写技師をしていたという。博士ちゃん情報だと結構最新の映画を放映していたと話すと九州で一番早い封切館だったという。そのため長崎市からわざわざ観に来る人もいたという。また木下さんの父は外に転がったフィルムを取りに外に出た所、波にさらわれたが波で戻ってきたという。
軍艦島を離れることになった日、郵便局員だった松森哲さんは悲しい思いはあり、17時に全部のランプが消えてその時に全て終わって涙ぐんだという。木下さんたちももっとキレイな島だったというのを伝えたいなど話した。
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エンディング映像。