- 出演者
- 富澤たけし(サンドウィッチマン) 伊達みきお(サンドウィッチマン) トシ(タカアンドトシ) タカ(タカアンドトシ) 小泉孝太郎
オープニング映像。本日は軍艦島SPなど放送内容を伝えた。
日本最大級のサービスエリアは2020年リニューアルし新店舗や新商品が続々出て、海老名限定グルメが大人気。今回海老名SA下りの限定商品人気ベスト5を発表した。
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海老名SA下り限定グルメ人気ベスト5を発表。5位「銀座たまや」の「メロンたまご」。中はカステラ生地にメロンピューレ入りの餡が入っている。ランキング以外では小田原吉匠の「鯵の唐揚げ」などを紹介。4位「JB’s TOKYO」の「東京ばな奈 カレーまん」。記事とカレーに隠し味でバナナが入っている。
3位「東京ばな奈」の「東京ばな奈の伝説のメロンパン」。20年前に1日2000個売れ昨年復活、ココア風味の生地と東京ばな奈のクリームが入っている。2位「ミルクチーズケーキ メロン」。静岡県産のメロンを使用した2層のフロマージュ。1位の前に「ぽるとがる」の「海老名メロンパン」と「とろける海老名くりーむパン」を紹介した。
海老名SA下り限定グルメ人気ベスト5を発表。1位は「バターバトラー」の「バターカステラ」。カステラ生地に発酵バターをたっぷり使用している。ランキングとキープした商品の中で1人1品だけ買ってきてもらえ、サンドウィッチマンはカステラとチーズケーキを選んだ。
本日は世界遺産・軍艦島SP。長崎県・端島、通称「軍艦島」は1950年代良質な石炭で栄えた炭鉱島。1960年代当時のテレビ普及率は全国平均約10%だったが軍艦島では約100%と高い生活水準だったとされる。外周1.2kmに約5300人が生活していたが石炭を掘り尽くし74年に閉山し無人島となった。2015年には世界文化遺産に登録された。そして閉山から50年ドラマや観光名所で再注目されている。今回番組では元島民の方々に思い出の場所などをインタビューしその場所を見つけ出し映像記録に残す。さらに帰れマンデー恒例の思い出の飲食店探しをタカトシ、サンド、小泉孝太郎が行う。
軍艦島へと上陸。桟橋からは小魚が大量にいることを確認しながら島内へ。現在いるのは一般立ち入り可能な公開エリアであるが島全体でわずか2%ほどでほとんどは崩壊の危険があるため立ち入り禁止となっている。今回長崎市に特別な許可をもらえい非公開エリアへ潜入する。そしてここからは元島民ガイドの木下稔さんと高比良秀信さんが同行する。2人は軍艦島で生まれ育った同級生で小学6年生くらいの時まで生活していたという。軍艦島について来るたび表情はどんどん変わり台風などの自然災害や草木もなかったと話す。
まず探すのは『冬でも遊べた「プール」』。ちなみに軍艦島の周りはいつ荒れるかわからないため海だが遊泳禁止だったという。道中、細かいコンクリートは崩落した壁などのもので海に落ちたもの台風などで打ち上がったものもある。世界文化遺産に登録されたことで維持するための足場が組まれたりしていた。総合事務所跡のレンガが白くなっておりこれは塩の影響で夏だと真っ白になるや炭鉱の入口もあり、600mが中間点でそこから先は歩いて斜行電車に乗って地下1000mまで掘っていく。迷路のようになっていて新人は先輩についていかないと迷子になり、足をすべらせて倒れて亡くなるなど死と隣り合わせの現場だった。24時間3交代制で作業をしており作業着のまま入浴して家路についたという。下水はなく上水は昭和32年に海底水道を引っ張ってきて各家庭に蛇口が付いたがそれまでは毎日水を運んできてもらっていた。当時の貴重な映像が公開された。
冬でも遊べた「プール」を探す一行。炭鉱エリアは当時でも行ったら親に怒られたなど話した。
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冬でも遊べた「プール」を探す一行はプールを発見。元々幼児プールで正式な6コースプールだが使っていたのは海水だという。現在プールには大量の岩がある状態だが地面には白いラインが残っていた。プールに思い出がある東健一さんに発見したことを報告した。
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続いて探すのは溝辺武麿さんの思い出の場所は神社で正月の時にはみんな集まっていたなど話す。端島神社は炭鉱の安全祈願などが行われた島民たちの心の拠り所だった。神社を探すため非公開エリアへと潜入。
溝辺武麿さんの思い出の場所は神社「端島神社」を探す。日本初の鉄筋コンクリート住居「30号棟」でガイドの木下さんが暮らしていたという。真水が手に入らなかったため塩水などで使っていて今のコンクリートよりは弱く崩壊は進んでいたがそれでも108年残っている状態だった。立ち入り禁止エリアに入って見つけたのは石炭を運ぶベルトコンベアの支柱だった。
溝辺武麿さんの思い出の場所は神社「端島神社」を探す。山の方に神社の屋根を発見。全体が見えるところまで移動すると四本足でギリギリ残っている状態だった。神社は社は木造だったが台風に備えコンクリで強化されその部分が残っている状態だった。山の上までは行けないためドローンを使って撮影した。神社の奥には「日給社宅」と呼ばれたアパートがありその屋上には国内初の屋上農園が出来た場所である。神社では正月に新品の洋服を着ないと神社前の道を歩けないという変わった風習があったと説明した。そして撮影した映像を溝辺さん達に見てもらった。
神社のすぐ横に気になる建物を発見。横にある建物は高級幹部職員が住むアパートで3部屋、内風呂があったという。ほとんどの家には風呂がなく共同浴場を使用していたという。さらに幹部社宅だけにピンポンがあり、木下さんはよくピンポンダッシュをしていたという。
石川東の思い出の場所は「学校」。軍艦島では1日中炭鉱夫達が働き、休んでいるため家で騒ぐことは許されていなかった。そのため子どもたちが唯一思い切り遊べる場所が学校だった。小中一貫校で約1200人が通っていた。
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- 軍艦島高島町立端島小学校・中学校
石川東の思い出の場所は「学校」を探す。道中にはガイドの高比良さんが住んでいたマンションや父親の職場を見つけ、父に弁当を持っていったこともあるなど話した。中学卒業したら長崎市に行く子や隣の高島へ通学する子もいたという。そして学校に到着した。軍艦の学校の校庭には石とかあり、波は簡単にくるという。また校内の窓が多いのは日が入りやすくするようにしていた。また1~3階にはボール避けの金網が設置されていた。本来6階建てだったが教室が足りなくなり7階を鉄骨で増築、それが現在は潰れている状態だという。学校とアパートが近く渡り廊下で繋がっていたという。それでもあまり使われなかったという。さらに近くには教職員寮もある。溝辺さんは学校の思い出についてホームランボールが海へ飛んでいき、水泳部の溝辺さんは取りに行ってとお願いされて冬には10円で取りに行ったという。
運動会は学校と会社のものが行われていた。グランドは唯一体を動かせるため放課後には大人にも開放されていた。当時の運動会の映像が公開された。恋愛についてすぐ目撃されるや3号棟は1番高いところにあるためデートスポットではあったという。学校の映像を石川さんに見てもらった。
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島民思い出の「厚生食堂」を探す。軍艦島には3軒の食堂があり、その一つである「厚生食堂」は島で働く人々の福利厚生施設として誕生しちゃんぽんなどを提供していた。当時18歳まで食堂で働いていた木本さんは当時使用していたドンブリなどを見せてくれた。年中無休で台風で皆やられたときは全員うちに食べに来ていたなど話した。
島民思い出の地「厚生食堂」を探す。道中には地下へ向かう階段を発見。階段はデパ地下の出入り口で島民はお金持ちだったため高級品から売れていったという。その前は雑貨屋でアイスなどを買ったという。端島神社へと続く階段は岩礁に合わせて作っているためアパートの階段よりキツイため「地獄段」と呼ばれたという。
島民思い出の地「厚生食堂」を探す。軍艦島には質屋もあったという。炭鉱員は電気・水道がタダだったが社外者は家賃など取られていたという。そして連絡通路が傾いているエリアへと到着。ここで「博士ちゃん」で軍艦島について学んださん度から「縦にのびる謎のでっぱりは何?」と出題。正解はダストシュートで上からゴミを落として集めていた。しかし、当時風が強いと捨てた瞬間にゴミが戻ってくることもあったという。危険なため通れない道ではかつては青空市場が開かれ「端島銀座」と呼ばれていた。そしてひさしみたいのがあるところが厚生食堂があった場所。映像を溝辺さんに見てもらった。