- 出演者
- 有馬嘉男 森花子 村上優 藤田千代子
紛争が絶えない南アジアのアフガニスタン。そこに死の谷と呼ばれる砂漠地帯があった。それを緑に変えたのは一本の用水路。建設の中心になったのは1人の日本人医師・中村哲だった。100の診療所より1本の用水路が命を救う。6年前、凶弾に倒れるまで戦い抜いた中村哲。これは75万人の命を救った奇跡の物語。
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- アフガニスタン
オープニング映像。
南アジアのアフガニスタン。もともとは緑豊かな国土だったが2000年、大干ばつに襲われ、田畑は枯れ、病気がまん延した。その状況を変えたのが中村先生たちが作った用水路だった。
アフガニスタン東部の山岳地帯・ダラエマワに小さな診療所があった。開いたのは医師・中村哲だった。薬も医療機器も少ないが中村は目と耳で丁寧に患者と向き合っていた32歳の時、パキスタンに登山隊の医師としてやってきた。道中、立ち寄った集落で住民に囲まれた。しかし薬が足りず、十分な治療もできずその場を後にするしかなかった。日本に帰っても置いてきた患者のことが頭から離れなかった。そんな中、医師仲間から、パキスタンで医療活動をする医師を募集しているという知らせが入った。中村は即座に応募し、妻と幼い子ども2人を連れてパキスタン・ペシャワールに渡った。後輩の村上優らは仲間たちと中村を支援するペシャワール会を結成しカンパで資金を集めた。パキスタンで診療を始めた中村はなぜか隣国・アフガニスタン人の患者が多いことに気づいた。聞くと旧ソビエトが攻めてきたあとの混乱で逃げてきたという。中村はアフガニスタンにも診療所を広げようと考え現地の人に強い覚悟を伝えた。ある日、中村のもとに1人の女声が訪ねてきた。それがマザーテレサに憧れ看護師になった藤田千代子だった。ある日、藤田は現地のスタッフが仕事をゆっくり行うのを見かねて手伝っていた。その時、中村が「外国人のあなたが主役じゃない。現地の人が技術を身に着けなければ続かない」と怒り始めた。ある日、中村の診療所が銃撃された。応戦しようと銃を構えたスタッフに中村は「やられてもやり返すな。報復してもなにも生まれない。ただ混乱が生まれるだけだ」と制した。16年後、アフガニスタンを100年に1度とも言われる大干ばつが襲った。田畑は枯れ、さらにアメリカ同時多発テロが発生した。テロを起こした組織を匿ったことを理由に米軍がアフガニスタンに侵攻してきた。治安は悪化し食料支援していた国連の職員も一時退避してしまった。すぐに帰国せよと日本政府からの勧告も出たが、中村は帰国しなかった。中村は「今命を救うのは100の用水路より、1本の用水路だ」と言い出し「緑の大地計画」を提案した。クナール川の上流から水を引き砂漠地帯に13kmの用水路を建設。そこに用地を切り開く計画だった。総工費は数億円を超える。費用は中村とペシャワール会が寄付を募って集める。地元の人たちは両手を挙げて歓喜したという。アフガニスタンの未来をかけた戦いが始まろうとしていた。
ペシャワール会について村上優は「まぁファンクラブですよね。哲っちゃんがやるならサポートしようっていうそんなところでスタートした。」などと話した。用水路計画について村上優は「あり得ない話ですよね、医者として。でもありえない話が出てくるのが彼ですから」などと話した。村上優が愛読していたヴィクトール・フランクルの「夜と霧」や「クレヨンしんちゃん」がスタジオに登場した。漫画は「クレヨンしんちゃん」が大好きだったという。
中村は土木の知識も経験もない。そのため日本から大量に専門書を取り寄せ深夜まで机に向かい続けた。日本からも多くの若者達が協力したいと計画に加わった。農業の知識がある伊藤和也、大学を卒業したばかりの鈴木学など約20名。その中の1人、写真家志望の中山博喜。設計に没頭する中村の姿を見ていた。2003年3月、用水路の工事が始まった。中村が選んだのは「蛇籠」。鉄線の網に石を詰めて護岸や斜面を作る日本の伝統的な工法。これなら重機などがなくてもできる。中村は600人のアフガニスタン人とともに泥に塗れた。8ヶ月後、堰を作ろうとしたが流れが強く、堰はなかなか作ることが出来なかった。ある日、鈴木学から1つのアイデアが持ち込まれた。それは筑後川に江戸時代から残る山田堰。川の流れに沿って長く石を組むもので、用水路に自然に水が流れていくようにするもの。中村はこれならいけると決断し、大量の石を運んだ。1年後、堰が完成。水路に水が呼び込まれた。1年後、伊藤和也が武装した男たちに拉致され銃弾で命を落とした。伊藤は農業の知識を熱心に伝えアフガニスタン人からも慕われていた男だった。葬儀には村人800人が集まった。中村は今必要なのは憎しみの共有ではないと心に誓った。2010年、水路は25kmに達した。それから5年後、1万6500ヘクタールの農地が生まれた。小麦や果物など多くの作物が実った。しかし中村はまだ喜ぶわけにはイいかなかった。緑に変わったのはアフガニスタンのほんの数%にすぎなかった。
プロジェクト開始から13年、干上がった大地は次々に緑に変わっていった。中村はファヒームとディダールを呼び出し工事の責任者を任せることにした。2人が任されたのは古くからある用水路の改良工事だった。2人を指導したのは技師の樋口孝。2019年12月4日、工事開始が年明けに迫っていた。しかし現場に中村がやってこない。その時、現場の電話が鳴った。中村先生が撃たれた。現場に向かう途中、武装集団から銃弾を受け中村は息を引き取った。同乗していた仲間5人も命を落とした。現場は止まった。10か月後、中村抜きにはこの工事は無理だと不安の声が上がっていた。しかしファヒームとディダールは全身全霊で仕事に臨んだ。2人の覚悟を支えたいと日本人も立ち上がった。現地への渡航が制限される中、支援チームを結成。河川の専門家も加わり、現地の映像を見て石の組み方などアドバイスをすることにした。しかしタリバン政府が復活し先進諸国の銀行がアフガニスタンへの送金を停止。日本から資金が遅れない事態となった。それでもファヒームとディダールは工事を止めなかった。農作物を売ったお金を工事費の一部にあて、自分たちの給料も減らした。1年半後、工事が完成した。
村上優は「みんな中村哲を心のなかに持ってる。100人の仲間がいます。彼が亡くなったあと参加してくれた仲間もいます」などと話した。藤田千代子は「彼がいなくても事業を続けていく。これが一番の慰めになる。なんとか彼らを支えていかないといけない」などと話した。中村はみんなが3度のご飯が食べれることを夢見ていたという。
2025年8月31日、アフガニスタン東部に強い地震が発生した。日本ではペシャワール会が現地の様子を伝えたボランティアが資金を集めて送った。現地ではスタッフたちが食料や毛布を買い集め、支援の届かない山岳地帯に向かった。誰も行かない所へ現場で力を尽くしていたのはファヒームとディダールたちだった。2019年、凶弾に倒れた中村の遺体はガニ大統領自らが担いだ。中村の言葉がある。それが「世界だどうだとか、国際貢献がどうだとかいう問題に煩わされてはいけない。それよりも自分の身の回り、出会った人、出会った出来事の中で、人としての最善を尽くすことではないか。というふうに思ってます」という言葉だった。
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