- 出演者
- 恵俊彰 赤木野々花 村井美樹 春風亭昇太 高橋英樹 千田嘉博 アンミカ
黄金の茶室の特徴は?1:お風呂がついていた、2:移動式だった、3:床暖房が完備という問題が出題。正解は2:移動式だった。
- キーワード
- 豊臣秀吉
オープニング映像と本日の内容を紹介した。
二条城二の丸御殿は将軍が大名と対面する重要な建物。大名が最初に通されるのが虎の間で美のポイントその1は将軍の力による平和を描く。次に通されるのが式台の間で美のポイントその2は将軍の統治をたたえるシンボル。大名が将軍と対面するのが大広間で美のポイントその3は将軍の権威を高める空間作り。
今回のテーマは「美しい城」。城についてアンミカは「必ず地方地方でその土地に行くとお城は町の方といっしょに訪ねさせていただく」、春風亭昇太は「一度でいいから和蝋燭の中で、揺らぐ炎の中であの金箔の虎とかを見てみたい」、高橋英樹は「ロケでもしょっちゅう行きました」、村井美樹は「障壁画とかを見ていると確かに豪華絢爛なんですけど、ギラギラしてなくてどことなく気品が漂っていて余白の美を感じる」とそれぞれ話した。釘隠しについて、折形礼法研究家の山根一城さんがスタジオで解説。釘隠しのデザインは、熨斗鮑包みが元になっている。当時は贈るものと階級によって紙を使い分けていたという。
400年前の優雅な姿を今に伝える彦根城。三層の天守は国宝に指定されている。城主は赤い鎧兜で知られる井伊家。幕府の最高職である大老を務めた者も多い。城の美しさには一族のプライドが詰まっているという。門の横に立つのはむき出しになった岩盤。自然の荒々しさが天守の華やかさを引き立てている。一番の特徴は破風と呼ばれる屋根飾りが18個もついていること。これらが複雑に重なり合うことで、三層の小ぶりな天守が大きく華やかに見える。城の北側に作られた玄宮園。庭園の中で井伊家が特に力を入れて作ったのが茶室。井伊家は武家の模範になるよう茶道に力を入れた。なかでも井伊直弼は自ら新しい茶道の流派まで立ち上げている。また、能狂言の脚本も執筆していたという。なお、ひこにゃんが被っている赤い兜は井伊家の印を表している。
群馬・甘楽町は江戸時代の風情を色濃く残す町。織田信長の子孫が築いた城がある。それは「小幡城」。本能寺の変のあとを生き残った織田家、城は独特の美意識で彩られているとのこと。小幡城管理人の増田さんと待ち合わせた。江戸時代から残る幅13mの広い道、城の中心部まで500m続いている。城主や藩士が歩いていた道だという。城の中心部へ。入ってすぐのところにあるのは、大きな土塁。中にある城主の御殿を見えないようにするためだ。城の西側を流れる雄川は、かつては水量が多く城を守る堀の役目を果たしていた。城主と許された者しか入れなかった門をくぐると、見事な庭園が広がっていた。春夏秋冬、様々な景色を味わうことができる。小幡城は、城の中心部の半分以上を庭園が占める珍しい城だという。この庭園を手掛けたのは、信長の次男・織田信雄とその子孫。本能寺の変のあと、父の仇・明智光秀を討とうを出陣するが、豊臣秀吉に先を越されて天下人になるチャンスを逃してしまう。徳川家康を誘って、秀吉に戦いを挑むも「これは敵わない」とわぼく。その後、2度領地を没収されこの地を得たのは、57歳のときだった。この池の水は、雄川から引き込んだ水路によってもたらされた。環境省の名水百選にも選ばれた透明度の高い水とのこと。最後は高台にある茶屋へ。ここから眺めると、織田信雄がどんな気持ちで庭園を作ったか分かるかもしれない。
アンミカさんは「呼吸ができる庭ですね、すごく癒されました」などとコメントした。織田信長は一流の文化人でもあったという。安土城の5階の部分は、法隆寺の夢殿のような八角形をしている。この部屋の中には、仏教的な絵が描かれているのだそう。愛知・犬山市の如庵は、信長の弟・織田有楽斎が作ったもので国宝に指定されている。
黒い壁で覆われた漆黒の城 松本城の美の秘密は?逆さ天守が映る堀の幅に注目。天守の周りの幅が広くなっている。幅は約60mで鉄砲の玉が届くか届かないかのギリギリの距離。天守を守るため広い堀が作られた。堀の反対側から天守を見ると大天守を中心に5つの建物で構成されている。戦国時代から江戸時代にかけて増築され今のようなかたちになった。右側にある建物と大天守には110の狭間があり、石落としもしっかり配置された鉄壁の要塞。大天守と小天守と2つの建物をつなげたのは敵を両方から狙い防御力を上げるため。左側にある月見櫓が増築されたのは江戸時代始め。時の城主・松平直政がいとこの家光が来るというのでこの建物を増築したという。月見櫓を天守につなげて建てたのは、説1・舟をイメージ、説2・白い壁を強調するため、説3・天守をより美しく見せるためがある。
なぜ月見櫓を天守につなげた?1舟をイメージ・2白い壁を強調・3天守を美しく見せる。アンミカさんは「配色もモダンアートみたい、全部ありそう」、村井さんは「演出効果を狙っていた」、高橋さんは「この当時偉い人は月を見上げない、下に映るものを見るのが当時の偉い人。月を見るのに最高の場所だった」、昇太さんは「天守を活かすため」、千田さんは「詳しい記録は伝えられていないが、天守に関わるような増改築は基本、幕府は禁止していた時代。天守の一部を改造し月見櫓を造ることができたということが松平家は一門でと、誇りにもなる。すごいお家だということを示すことにも」などと話した。
春風亭昇太のお城講座、松本城編。松本城は白と黒のコントラストが美しいお城。一方、姫路城のように白いお城もある。なぜ松本城が黒いお城だったのかを解説。黒い部分には渋墨で塗られており、板をずらし重ねてはっている。白い壁は漆喰を塗ったもの。黒い壁は撥水性があり下に水が落ちやすい特製があり、白は水を吸収するという特製がある。そのため黒い壁は防水性が高い。一方漆喰は防火性が高いという特徴があるが水がしみてしまうため寒い地方の場合は凍結し壁が傷む弱点がある。そのため寒いところは板壁で城を作ることが多いという。さらに、黒い壁は傷ついた板を交換するだけで修復できるが、漆喰の壁は全面を塗るなどしなければならず、時間とお金がかかるという特製もある。松本城の場合は、黒い壁の上からさらに黒漆を塗っており一層輝くようになっている。
金沢城は黒い平な瓦を漆喰で固めたなまこ壁や日の光を受けて白く輝く鉛板の瓦など芸術性の高い城として知られている。特に石垣が見どころ満載で、石川門の石垣は江戸時代前半と後半の石垣を2つ同時に見ることができる。五十間長屋の裏側にある石垣は赤・青・グレーの石がモザイク状に積まれていて、当時ここにあった二の丸御殿を訪れる客に見せるために華やかな作りにしたと考えられている。この他三十間長屋の立体的な石垣など城内には様々な石垣がある。こうした石垣は当時城主だった前田利常が圧倒的な財力を持つ加賀藩が幕府に逆らう意思がないことを示すためにあえて芸術性を高める設計にしたと言われている。
金沢城には、各時代の積み方を比べられる石垣や、刻印がついた石垣など様々な石垣がある。高橋さんは「この石垣は戦のためではなく、お金を使ってどう美意識を持たせるかというものだと思う」などと話した。千田さんは「前田家はその時その時の最先端の石垣の技術を取り入れて、金沢城内に残っている石垣が石垣の博物館となっている」などと話した。アンミカさんは「1つ1つのお城の個性というものすべてに感動している」などと話した。
