- 出演者
- 三谷紬
キングカズ、57歳。アトレチコ鈴鹿クラブで2年ぶりに先発し、55分間出場。最年長出場記録を毎週更新し、人々に夢を与えている。そんなカズと一緒に日本中の限界を超える人を応援する。
オープニングの挨拶。内田がカズについて、限界突破していると話した。
尾瀬国立公園に限界を超えモノを届ける人がいる。歩荷の石高徳人さんの仕事を巻誠一郎がリポート。運ぶ荷物は山小屋で必要な食料や飲み物が中心。76kgの荷物を背負い、9km先の尾瀬小屋へ。限界を超えて運ぶ道のりに密着した。午前7時に出発し、3時間で全行程の半分に到達。ゴールで待つものとは?
76kgの荷物を運ぶ歩荷。目的の尾瀬小屋まで残り3km。出発から5時間15分で到着。運んだ荷物を山小屋のスタッフに渡して任務完了。歩荷なくして山小屋のサービスは成り立たない。荷物を届けた後はご褒美メシをいただいた。
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- 尾瀬小屋
歩荷の仕事について、カズは無理でしょと話した。
岩手・大迫町は医療の限界に挑戦。高血圧が原因となる病気ゼロを目標に掲げている。大迫町の脳卒中発症率は男女ともに減少。特に男性は1990年から半減した。限界を超えるキーワードは大迫研究。1986年に始まった血圧の大規模調査だ。
血圧を測り続けて38年のレジェンド、平澤さんの生活を紹介。日課は夕方の散歩。30分以上の有酸素運動は高血圧予防に効果的。食事は塩分控えめ。大迫研究により脳卒中発症リスクと血圧の関係に発見があった。
循環器病の専門家が解説。大迫研究では、朝血圧が上昇する人は脳出血のリスクが高いこと、血圧が乱高下する人は認知機能低下のリスクが高いことなどが分かった。カズは毎日血圧を測っていると話した。
大阪・吹田市のフレンドマート健都店。ひときわ目立つ売り場がかるしお(塩を軽く使った食品)。コンビニにもかるしおのコーナーが。かるしお誕生に関わったのが、国立循環器病研究センターの調理師長、白川健二さん。病院食の限界を超えるかるしおレシピを紹介。サケの塩焼き、豚肉のみそ炒めを作って試食。スタジオでもかるしお料理を体験した。山田第五小学校では給食にかるしおを取り入れている。
キングカズが驚きの食生活を公開。管理栄養士がメニューを立てて、調理師が4人で回しているという。
札幌中央整形外科クリニック院長の亀田和利さんは、診察中にカルテを書くのが苦手。ディスレクシアを克服して医者になったという。幼少期はの、ね、ぬが判別しづらく、ものを覚えることが苦手。周囲との違いを感じたのは小学生の時だった。
ディスレクシアに悩む少年はどうやって限界を超えたのか。中学時代の学習塾は書くことと聞くことが分かれた授業で、それぞれの作業に集中することで授業を理解できた。やり方を工夫すれば勉強ができると知り、24歳で医学部に合格した。
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三浦知良と内田篤人が本音トーク。57歳で現役のカズはサッカー界のパイオニア。15歳で単身ブラジルへ。最初の3年間は全く通用しなくて苦しかったが、ひたすら練習するうちに自然と伸びていったという。
三浦知良と内田篤人が本音トーク。三浦知良の歩みは挑戦の連続。27歳でアジア人初のセリエAプレイヤーになり、55歳でポルトガルへ移籍。後悔していること、挑戦の支えになる楽しさ、今後の夢などについて語った。
限界を超えて言葉を取り戻した奇跡の物語。内科医の日高四郎さんは、60年ぶりに患者の言葉をよみがえらせた。午前の診療を終えると訪問診療に出かけるのが日課。患者に寄り添う医療の信念を強くしたのは、ある高齢親子との出会いだった。1995年7月6日、当時40歳だった日高はかかりつけのスナヲさん(86)から「息子が熱を出した」ので診て欲しいと頼まれた。息子・茂雄さん(63)に質問しても何も返ってこなかった。母によると、60年前の高熱で耳が聞こえなくなり、言葉も失った。2人はこれまで身振り手振りで意思疎通してきたという。本当に耳が聞こえないか疑問に感じた日高が聴診器を茂雄の耳につけると音に反応した。息子の耳が聞こえないと思い込んでいた母は悔し涙を流したという。内科医で専門外だった日高は帰宅してすぐ大学病院の耳鼻科に連絡したが、その年齢から発語訓練は無理と言われてしまい、手探りの発語訓練が始まった。茂雄は自分の声を聞くことができないため、カセットプレーヤーに録音して大音量で聞かせた。茂雄は子音を出せず、「あ行」以外が言えなかった。悩んだ日高がため息をつくと、窓が曇った。窓が曇るように息を出せば「は行」の発音になると発見でき、手鏡が曇るように発音してもらうことで茂雄は「は行」が発音できるようになった。音が聞こえるようになった喜びから茂雄はテレビを楽しむまでになった。日高は母が存命のうちに「おかあさん」と言えるようにしたいと目標を立てた。難しかったのは「ん」。茂雄はうがいができなかった。うがいは水が喉に下りてこないように舌を丸めてせき止める必要がある。「ん」と発音するときもその舌の動きが重要だと考えた日高はうがいを必死に練習させた。発語訓練を始めて約1年半後の1996年10月2日に茂雄は「おかあさん」をマスターした。言葉の意味を理解していない茂雄のために母は自分を指差して教えた。日高は茂雄が「おかあさん」と言ったら、顔を出してほしいと母に指示したという。兄の声を聞こうと妹たちも帰ってきた。発語訓練を続けた茂雄は50音をマスター。日高はこの親子を通じて、医療とは病気を抱えているその人生と関わることだと認識したという。親子は2人とも2014年に亡くなった。
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- 宮崎市(宮崎)
三浦知良は「みんなの気持ちが一つになった。本当に大変なことだったと思う」、内田篤人は「お母さんは辛かったと思う。気付いてあげれなかった後悔もあると思うが、最後はおかあさんと言ってもらえて嬉しかったでしょうね。子どもに最初にパパと言ってほしい」などと語った。
三浦知良は背番号にちなんで11,000個のサッカーボールを全国の子どもたちに贈呈する活動を行っている。子どもたちに「みんなで一緒に超えていきましょう」などとメッセージを送った。