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日本は最先端なハイテクノロジーの国というイメージがある。それなのになぜ、アナログなクレーンゲームが流行しているのかという疑問に答えたかったと、フランス人社会情報学者のブノワ・ボトスは話す。
オープニング映像。
ゲームセンターが集中する池袋は、ブノワの研究にとって重要なエリア。街を歩きながらの観察も調査の一貫。ブノワが専門とするのは社会情報学、ただゲームをするだけのクレーンゲーム機が、実は社会に何らかの情報を発信しているのではないか、という前提で研究を進めている。昨年はついに、クレーンゲームはメディアなのだと考察した博士論文を発表。近年のデータでは、ゲームセンターの売り上げの50%以上はクレーンゲームだという。売り上げが増えるから、クレーンゲームの台数も増える。ブノワは、この現象をゲームセンターの「クレーンゲーム化」と定義する。研究は、この現象に気づいたことで始まった。
この日向かったのは、高田馬場のゲームセンター。初めて尋ねる店だという。いつも繰り返している基本の調査方法でスタート。ゲーム機の種類を数え、景品の種類と数を数える。これまでの調査によると、景品はほぼ1か月で入れ替わっているという。調査はゲーム機だけではなく、客の行動も記録する。客の自然な行動を記録するためには、観察対象に気づかれないのがポイント。目に止めた親子を真剣に観察する姿はちょっと怪しげだが、公表できる研究データにするために必ず本人に許可も取る。クレーンゲームという新たな研究フィールドを切り開くブノワは、今和次郎のスタイルに深く共感。考現学の手法を使って、クレーンゲームの流行を捉えたいと考えている。調査でわかったのは、ある特定の景品が人気を引っ張っているわけではないということ。クレーンゲームの人気の理由を探るには、別の視点が必要だった。
ブノワは来日するまでパリで暮らしていた。90年代の日本のサブカル文化に魅せられた少年ブノワにとって、この時代の日本のゲームセンターは特別な場所に見えた。ブノワは日本研究に定評のある、パリ・シテ大学で近大日本史を学ぶ。2016年、日本に留学し来日して真っ先に向かったのは憧れのゲームセンター。しかし、ブノワが”若者の天国”と呼んだゲームセンターは、クレーンゲームで溢れるファミリー向けの空間に変わっていた。一度はがっかりしたゲームセンターの変化、しかしそこには新たな研究の鉱脈があった。
高田馬場のゲームセンターで、観察調査を続けるブノワ。店に入ってきた1人の男性、男性は景品を眺めるだけで一向にプレイせずそのまま店を出た。店内で景品を見るだけの行動「ウインドーショッピング」。実はこれこそが、ブノワの収集したデータの中で一番多いパターンだという。クレーンゲームはショーウインドーであることは、店側も強く意識しているという。店側は景品の種類だけでなく、並べ方でも客の目を引くワザを駆使していた。ゲームをしてもらわなくてもまずは見てもらう。クレーンゲームはただのゲーム機ではなく、商品キャラクターのイメージを視覚的に伝えるメディアとして機能している。それがブノワの追い求める、クレーンゲーム人気の理由の1つでもあるという。20年以上メディア研究を続けている、ブノワの指導教授・辻泉。興味を引かれたのは、その着眼点だという。
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ブノワはこの日、埼玉のゲームセンターを訪ねた。ブノワはクレーンゲームの進化の過程についても分析を続けている。クレーンゲームの博物館を開くため、この店は古いゲーム機を集めているとのこと。1930年代にアメリカで作られた、最も古いタイプのクレーンゲームの1つ。発売されると世界中で人気となり、日本にも輸出された。文字通り”クレーン車”がお菓子を釣り上げていた。この頃アメリカでは専門店まで登場、すでに路面から見える位置に置かれていた。しかしこの後、クレーンに意外な変化が起きた。80年代前半までは横型が多かったクレーンゲーム、ゲームセンターでは脇役だった。しかし、80年代後半に縦型が登場すると状況が変わる。クレーンゲームが日本のゲームセンターの主役になれたもう一つの要因は、1975年に90円までと制限されていた景品の上限価格がゲームセンター側の要望もあり段階的に引き上げられる。1990年に500円になると景品に大きな変化が現れた。
エンターテインメント業界で、マンガ・映画・グッズ・ゲームなど複数のチャンネルで、ファンである客との接点を増やすビシネス戦略。1990年代以降メディアミックスの一貫として、人気キャラクターのぬいぐるみがクレーンゲームという新たな舞台に進出してきた。クレーンゲームがメディアとして機能する中、キャラクター景品の需要も高まった。人気の景品は付加価値が付き、中古ショップで買い取られ販売されている。クレーンゲームで見出され、ゲーム機を飛び出した景品のメッセージがさらに街の中で拡散していく。この先、ブノワのクレーンゲーム研究はどこへ向かうのか。ブノワは「クレーンゲームが日本で溢れている限り研究を進めたい」と話した。
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エンディング映像。
「ドキュメント72時間」の番組宣伝をした。