- 出演者
- 有働由美子 片岡信和 千々岩森生 草薙和輝 下村彩里 武隈光希
今夜は福山雅治さん。シンガーとして数々のヒットを飛ばしドラマや映画など俳優としても大成功。そんなに自信はないと胸の内を明かしてくれた。自信のなさこそ売れる秘訣があるよう。
音楽を始めたきっかけは小学6年か中学1年の時、斜向かいに住んでいた備後八郎兄ちゃんが不良になっていた。部屋からTHE MODSの「不良少年の詩」が聞こえてきた。男子の中で一目置かれたいという思いがあった。女子にはモテてた。中学の時のバンドは「不死鳥」と述べる。高校でもバンド活動を続ける。1987年、ミュージシャンを目指し上京。上京から約3か月、「美少女学園」を目にする。19歳の俳優デビュー映画は「ほんの5g」。現場に行ったらただ怒られていた、芝居が出来ないからと述べる。音楽デビューは21歳の時、デビュー作の手ごたえについて、自分の力のなさ、能力の無さを痛感したデビュー作。売れないなぁとは思っていた。地下室の熱狂だけで満足してちゃいけない。本当の自信と誇りがあるなら街を歩けないほどの人間にならないといけないとダメなんだと言われ、だから売れなきゃダメなんだと述べる。1992年、ドラマを機に俳優として注目される。1993年国民的ドラマ「ひとつ屋根の下」に出演。最高視聴率は37.8%、チイ兄ちゃんを演じる。ドラマ放送中にリリースしたのが「MELODY」。NHK紅白歌合戦に初出場。俳優だけでなくシンガー・ソングライターとしての地位を確立する。やりたい音楽と売れる音楽について、やりたいものと出来るものが違う。客観の目線が生まれる。客観しする自分がどうプロデュースしジャッジしていくか、客観の目線が育まれていくかどうかが売れる、売れないにおいては大事だと思っていると述べる。
俳優と音楽について、当時「役者ロック」と言われた。俳優をやりながら音楽をやることは好意的に受け取られている感じはなかった。俳優としての仕事も音楽の活動も10年後、20年後に有無を言わせない状態になっていればいいな、あまり言葉にせずにやっていたと述べる。2000年31歳、「桜坂」が自身最大229.9万枚のヒットとなる。福山さんはCDシングル、アルバムの総売上枚数は約2400万枚と男性ソロアーティストとして歴代1位。ヒットのコツは?福山雅治がうたわず誰が歌っても売れる。曲のポテンシャルでいうとそんなに自信はないと述べる。俳優・福山雅治としてさらに輝きを増したのが東野圭吾さん原作の「ガリレオ」。さらに2010年、大河ドラマ「龍馬伝」で主演。44歳となった2013年「そして父になる」で初の父親役を演じる。カンヌ国際映画祭では福山の目に涙が。あの反応をみると、世界はつながっているという、人の心と心がつながっているという現実に感動した。戦争の話も多い。エンターテインメントは別の世界線を持っていると述べる。「Act Against AIDS」はHIVに感染した子どもたちを支援するチャリティー活動。地元・長崎の盛り上げ役としても精力的に活動。「クスノキ」は長崎の平和祈念式典で児童100人が合唱。基本は人に喜んでもらうのが大好き。うまくいってなかった社会の仕組みが福山のおかげでうまくいったんだよねと喜んでもらえたら。割と自分の中では地続きであり同じ面で捉えていると述べる。
写真家・福山雅治が有働Timesのために仕上げた作品を紹介。
9月9日にリリースされるNEWアルバム「超新星」。アルバム表題曲でもある「SUPERNOVA」はミュージシャン・福山雅治の新境地ともいえる1曲。生きづらさもある、僕の中にも。ギター1本で東京を目指した自分、57歳の自分はあのころより間違いなく幸せ。なんだけどこれでいいかと思っているかというとまったく思っていない。裏切って、飛び越えて、期待に応えたい。予想は裏切るけど期待は裏切らないという人生を歩んでいきたいと思っていると述べる。
正直さというのは残していきたい。ミック・ジャガーのインタビューを見て、年とって良いことなんて一つも無いと言っている。それはそれで希望を感じた。それでもあのステージが出来ている。ファンの皆様の支えと応援のおかげでイメージしているものが出せるようになった。これは時間。技術を獲得する時間と猶予を与えてもらったことにより今があると思っている。あの頃の自分より今の自分の方が良くなっていると信じたいと述べる。
3年後に還暦を迎えるが、正直でありたいというのがわかる気がする。出来ないことも増えてくるがそれも含めて受け止めてどう前に進むか、その自信が出来てきたのかな。60代、70代、80代の福山さん楽しみしていますなどと話した。
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