- 出演者
- 渡邊佐和子 佐藤二朗 斎藤英喜
大河ドラマ「光る君へ」の第1話でユースケ・サンタマリア演じる安倍晴明が登場した。番組では陰陽師にスポットを当てる。
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- ユースケ・サンタマリア安倍晴明
オープニング映像。
陰陽師は平安時代中頃に活躍したといい、紫式部が「源氏物語」を執筆していた頃にあたるという。陰陽師の儀式を描いた作品にはもののけ、陰陽師の手足となって働いた式神などが描かれている。
京都市生涯学習総合センターには平安京の精巧なジオラマがあり、北端に大内裏が置かれていた。陰陽寮は天皇の住まいにあたる内裏にほど近く、陰陽師は朝廷の役所に勤務する国家公務員と言えた。重要な仕事の1つが天体観測で、星々などに起きる異変「天変」をいち早く察知する必要があった。天変は乱れた政治に対する天の警告で、疫病や飢饉につながるとされた。989年、ハレー彗星の接近がわかると、陰陽師は天皇に報告。朝廷は元号を改めた。陰陽師からの助言は暦注といい、日毎に縁起の悪い方角、回避すべき行動などが巻物に記されていた。平安の人々にとって知るすべもなかった月食の発生を陰陽師は天文の知識で予測していて、国家に仕える官僚兼サイエンティストとして信頼を集めていたという。
平安貴族にはその日に行って良いこと、いけないことが日毎に決まっていて、「不視病」の日はお見舞い禁止だった。斎藤英喜教授によると、法律ではないが、遵守したほうが安全とされたという。
貴族の屋敷の井戸から男女の木像が発掘されたが、木像にはそれぞれ名前が記されていた。2人を呪う呪物と考えられ、平安京では呪詛が日常的に行われていたという。
藤原道長は何度も呪いをかけられていたといい、斎藤英喜教授は「国家公務員の陰陽師がやったらマズイ。当時はお坊さんたちがアルバイトで陰陽師やっていて、権力者周辺を呪っているということが結構ある」と語った。呪いを祓う存在が陰陽師だったという。
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伝承によると、平等院鳳凰堂の境内には酒呑童子、玉藻前の骸が納められているという。陰陽師は酒呑童子の住処を突き止め、討伐に成功したとされる。玉藻前は美女に化け、上皇を誘惑して朝廷を混乱に陥れるが、陰陽師によって退治された。この強い妖怪2体の死体を置くことで、他の妖怪の侵入を防いでいたという。また、平安京に都が移る前、天皇の近親者が次々と亡くなり、天災も重なった。陰陽師が導き出したのは桓武天皇の弟、早良親王の祟り。謀反の罪を着せられた親王は淡路島は配流となり、絶食して抗議するも、無念の死を遂げていた。鎮めるため、親王を祭神として祀る崇道神社だった。
江戸時代の観光案内には清水寺へ続く坂で躓くと、3年で死ぬと記されていた。かつて坂周辺は葬送の地で、遺体が運び込まれた。平安の人々は疫神という赤鬼が家々に侵入し、疫病を撒き散らすと信じていた。そこで、陰陽師は疫病対策の儀式を執り行った。
安倍晴明は名門出身ではないが、藤原氏など有力貴族が暮らしたような一等地に屋敷を構えていた。986年、后が死去した花山天皇に対して、藤原道兼は自分とともに出家をと勧めた。天皇は退位したが、道兼は出家することはなく、道長の姉が生んだ男児が一条天皇として即位した。安倍晴明は天体の異変から事件を察知していたといい、本来であれば天皇に報告するべきだが、藤原氏の陰謀に加担していた可能性がある。999年、火事で一条天皇の住まいが焼失した。朝廷は再建するも、暦注で縁起の悪い日が続き、引っ越しが遅滞した。安倍晴明は陰陽道の特殊な歩行法「反閇」を行い、良い、悪いを反転させたことで事態を打開した。本来、外出は慎むべき「大禍」の日を反転させ「吉日」とし、引っ越しを行った。
藤原道長は安倍晴明に全幅の信頼を置き、遅刻にも鷹揚だったという。佐藤二朗は陰陽師に執り行ってもらうとするなら、二日酔いがなくなる儀式をお願いしたいといい、斎藤教授は良い、悪いをひっくり返す「反閇」を勧めた。
「歴史探偵」の次回予告。