- 出演者
- 渡邊佐和子 佐藤二朗
ハワイのマウイ島から中継で、神宮寺愛さんが挨拶。
マウイ島はカメハメハ大王が王国の古都を築いたことでも知られ、景勝地でもある。だが、23年8月に大規模な山火事が発生し、町の多くが焼失した。今回、ハワイの人々に息づく歴史、伝統に迫る。
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- カメハメハ1世フララハイナ(アメリカ)
オープニング映像。
23年11月、取材陣はマウイ島のラハイナに入った。3か月前の山火事で約100人が犠牲となり、5000人以上が住むところを失っていた。19世紀、カメハメハ1世がハワイを統一すると、王国の首都をラハイナに設置した。ラハイナの中心部はフロントストリートと呼ばれ、町並みは国の歴史建造物地区にも指定されていた。王族たちが眠る墓があった島の教会、貴重な文化財も山火事で甚大な被害を受けた。
ハワイでは11月は雨季のはじまりにあたり、平和の神であるロノに捧げ物をして土地の豊穣、繁栄を祈る「マカヒキの儀式」が行われる。特別な捧げ物がレイで、草花を編んでつくられる。邪気を祓い、場を清める力があるとされる。島の全土から2~18歳の子どもたち約600人が集まり、代表者は伝統衣装を身にまとい、重要な役割を担う。儀式の最中、子どもたちは楽器を取り出し、ラハイナを称える歌を披露した。火災で島は傷ついたが、傷を癒やし、実りを享受する未来の到来を願っていた。
マウイ島におけるモクウラは古代からの聖地で、過去に王族たちが居を構えた。火災後、ハワイ各地から人々が集まり、レイを供えるなど復興への祈りを捧げた。
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- マウイ島ラハイナ(アメリカ)
佐藤二朗はハワイでは神への祈りを通して人々が繋がっていると感じたという。番組で一部を取材した儀式ではウルの実が捧げられたが、ウルは食材としても使われる。茹でたウル、マカデミアナッツでデザートも作ったりする。儀式に参加したクパアさんは「僕はまだ若いですが、ハワイの伝統を子ども、下の世代に教えたいと思うようになりました」などと語った。
古来、マウイの人々は豊かな自然のなかに神を見出し、厚く信仰してきた。神や先祖への祈りが体の動きを伴うようになったことで、フラが誕生。だが、イギリス人探検家のジェームズ・クックがハワイに上陸し、西洋の国々にその存在を知られるようになった。キリスト教の宣教師が布教のためにハワイを上陸し、ハワイの神々を異端とみなした。また、肌の露出が大きいことも問題視し、フラの踊り手は投獄されたことも。神殿は破壊され、人々はサトウキビ農場などの労働者として搾取された。事態を鑑み、第7代国王のデイヴィッド・カラカウアは世界各地を歴訪し、西欧諸国に対抗するために近代化を推し進めた。宮殿には電灯、電話、シャワー、水洗トイレなどを備え、当時としてはアメリカのホワイトハウスよりも先進的なところもあった。カラカウアは伝統文化の保護にも力を入れ、口承で語り継がれてきた神話、伝説を英語で記録した。
1883年、カラカウアは禁止されていたフラの復活を実現。自らの戴冠式で公式にフラを披露させ、肌の露出が多かった衣装にはシャツなどを取り入れた。さらに西洋音楽も導入。カラカウアは「フラはハワイアンの心の声であり、生命の鼓動そのもの」という言葉を残している。
佐藤はハワイに伝わるフラに苦難の歴史があったことを初めて知り、西洋の目をかいくぐってフラをやるのではなく、西洋文化との共存を図ることで復活を認めさせたカラカウアの取り組みは偉大と称えた。1898年、アメリカ合衆国によってハワイは併合されたが、フラは伝統文化として今に伝わっている。
古典フラにおいて、体を使い、円を描くような動きは大地を耕し、生命力を育むことを意味するという。また、変わりゆく時代のなかで、踏ん張れというメッセージ性もある。ロパカ氏は「ハワイアンにとってフラは生き方、考え方、呼吸のようなもの。ハワイアンとしての自分自身の生き方に直結するもの」、サニー氏は「私達の歴史の記録そのもの。世界をどのように捉えるべきかを教えてくれる」などと語った。
カラカウア王はハワイ王国時代の国歌「ハワイ・ポノイ」の作詞を手掛けた。ハワイの歴史、誇りが歌われている。王国は失われたが、現在は州歌として歌い継がれている。
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- デイヴィッド・カラカウアハワイ・ポノイ
「歴史探偵」の次回予告。